●音楽は言葉を超えたコミュニケーションツール〜0歳からの音楽教室で伝えたいこと①
こんにちは!宮﨑りかです。
これから人生を歩んでいく子どもたちに、「音楽を一生好きでいてほしい」「いつも音楽がそばにある人生を送ってほしい」。
いつもそんな思いを持って、子どもに音楽を教える仕事をしています。
音楽は言葉を超えたコミュニケーションツールである
音楽があれば、どんな場所の、どんな年齢の、どんな人とも、繋がることができると私は思っています。
そう考えるようになったのは、3つの音楽体験があります。
どこの国の人でも音楽は共通。バリ島での体験
これは、本当に言葉を超えた体験をした話。
実は、夫も同業者なのですが、夫は大学卒業後、1年間バリ島へ音楽留学していました。
私も夫の留学中に、何度かバリを訪れたことがあります。
私はバリ語もインドネシア語も(恥ずかしながら、英語も汗)全然わからなくて、現地の人たちとの会話はほとんどしていません。
けれど、音楽で繋がることができたんです。
現地の先生にガムランを習ったとき、言葉は使わないけど身振り手振りで通じ合えて、一緒に楽器を鳴らして共鳴したとき自然と目が合って笑顔になれた。
同じ釜の飯を食う、じゃないけど、きっと似たような感覚で、一緒に音楽したら、もう家族みたいな。
バリが日本人に優しいからとか伝統音楽が生活の中に今でも溢れているからとか、もちろんそういう要素もあるけど、
音楽は、言葉に頼らなくても気持ちを通じ合わせることができる。
それを肌で実感した出来事でした。
介護体験で見た、おじいさんの涙
教員免許を取得するための介護等体験に行った、学生時代のときのこと。
私は、老人ホームにお邪魔して勉強させていただいたのですが、音楽科の学生あるあるでしょうか、だいたい、最終日あたりに楽器や歌などをご披露する流れになるんです。
私はトロンボーンが専門なので、トロンボーンで童謡や唱歌を演奏しました。
中でも、「赤とんぼ」の演奏をしたときのことがとても印象に残っています。
無表情で聴いていらっしゃった一人のおじいさんが、ふと気づくと、涙を流して泣きながら聴いてくださっていたんです。
今でも、小学校の音楽の授業では唱歌を扱わなければならないことになっています。
子どもたちからすると、どうしてこんな古くさい歌をうたうんだろう?と思うかもしれないのですが、私は昔の曲や歌を扱うことの意味の一つは、こういうところにあると思っています。
美しい音楽や歌は、世代を超えて愛され、人と人とを繋ぐことができる。
これって、すごいことですよね。
特別支援学校の子どもたちの全身から溢れる「楽しい!」
中学1年生のときの話です。
うちの学校の吹奏楽部は、毎年特別支援学校に訪問演奏に行っていました。
吹奏楽部に入りたてだった私、楽器はまだ全然演奏できませんから、先輩たちの演奏に合わせてダンスをするパフォーマンス係でした。
子どもたちの目の前でダンスをするのですが、そこで目にしたのは、子どもたちのすっっっっっっごく純粋なキラキラした目でした。
「音楽、楽しい!」
「この曲、好き!」
その気持ちを、とってもキラキラした目で、体をノリノリで動かしながら表現してくれる姿を見て、私はもう、すっごく感動してしまったんです。(涙もろい私は、踊りながら泣きました。。。)
私たちは言葉で何かを伝えたわけではないし(そもそも、よく考えたら私は演奏してもない笑)、はじめましての人たちだし。
ただただ、私たちは同じ空間で音楽しただけなんです。
それなのに、通じ合えたような感覚になれた。
音楽って、すごい力を持ってるんだな。と、震える体験をしました。
こうやって、音楽があれば
どんな国の人とも
どんな年齢の人とも
どんな人とも
繋がることができるんです。
まだ言葉をしゃべれない子どもとだって、同じ音楽を聴いて一緒に体を揺らしたり、楽しくてつい笑顔になったり^^
そんな経験はありませんか?
音楽は世界共通言語。
言葉を超えたコミュニケーションツールなんです。
これから世界に羽ばたいていく子どもたちには、音楽を楽しむ力や表現する力を身につけ、人と繋がるツールとして磨いていってほしい。
私はそう思っています^^
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