③「体感の良さ=楽」だと思っている
何度か書いたことがあるけど
目に見える行動によって目に見える結果が返ってくる
これが私たちが生きる物質世界のルール。
なので、行動すると必ず何かしらの結果を受け取ることができる。
それは思い通りの嬉しいものかもしれないし、思いもよらない傷付くものかもしれない。
幸せな気持ちで満たされるものかもしれないし、不満でいっぱいになるものかもしれない。
目に見える行動をしなければ、目に見える結果は返って来ない。
目に見える結果が返って来なければ、気持ちは大きく動かない。
深く嬉しい気持ちや満たされた気持ちを感じない代わりに、深く傷付いたり悲しんだり不満を感じることもない。
楽。
もしもその言葉の定義を「気持ちのアップダウンがなく一定なこと」としていたら
1番カンタンに楽に生きられる方法は
新しいことに何もチャレンジせずに生きること。
これに尽きる。
新しいことにチャレンジしなければ。
つまり目に見える行動をしなければ、目に見える結果は返ってこない。
その結果によって大きく気持ちが動くこともなく、傷付くことも悲しくなることもない。
そしてもしも、そんな「楽」な状態を体感覚が良いと捉えているならば
現実が何も変わらない原因はまさにここにある。
楽=体感覚が良い
ではないんです。
大きく気持ちが動いていないことを「心地良い」と思っているだけで、体感覚の良さはまた別のもの。
久しぶりに虹を見た日🌈
「楽」を選んでいるときの体の感覚だけに意識を向けてみると・・・
本当の本当の本当は、
つまらなさでいっぱいだったり
フツフツとした怒りを抑えていたり
力のなさを感じていたり
本当はめーーーーっちゃ体感悪いじゃん!!!
そんな風に気付くことがたくさんある。
「楽」は心地の良い「体感の良さ」ととても似ているけど、本当は全然違うもの。
目に見える行動によって目に見える結果が返ってくる
そんな物質世界のルールの中で楽しみたくて生まれてきた私たちから、その楽しみを奪ってしまうと
嫌な気持ちをかんじない代わりに生きてる!という実感もなく、体感覚は悪くなる。
傷付いていいよ。
嫌な気持ちを感じてもいいよ。
どんな気持ちも感じていいよ。
そんな風に自分に許してあげることで、本当の体感の良さにたどり着く。
逆に言うと、それを許してあげることでしか本当の体感の良さには辿り着かない。
現実がどんどん変化していったのは、楽を超えた「生きてる!」という体感の良さを大切に思えるようになってからのことでした😍😍