現世の生き方が来世につながる 因果応報②
いつもブログをお読みいただきありがとうございます。
人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです。
この3次元世界(魂の修行の場)を超えた、4次元以降の実在界ついて、4次元精霊界・地獄界、5次元善人界、6次元光明界、7次元菩薩界について『永遠の法』からご紹介をして参りました。
人間には「前世・現世・来世」があり、現世の生き方が来世につながる。因果の理法、因果応報について「経典・復活の法」より引き続きご紹介させていただきます。
この3次元世界に生きているうちに、天国とは呼べない4次元世界 精霊界・地獄界を知り、5次元善人界以上の天国と呼ばれる世界へ戻れる心境、悟りを得ることができれば幸いです。
霊界の基本構造観
霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています
3次元:地上界
4次元:精霊界、地獄界
--------------------------------
5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)
6次元:光明界(各界の専門家達の世界)
7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)
8次元:如来界
9次元:宇宙界
地獄界の増大と悪のまん延のなかで
今、地獄界の増大と、地上世界における、生きている人たちの心の在り方の、悪のまん延に、たいへん心配を重ねています。
どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、実に、この世的に足場を置いている者にとっては、分かりにくいことではあろうけれども、
「この世で目が見えている者が実は見えていなくて、この世のものでないものが見えている者が、本当に目が見えている者である」という、逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。
これさえ分かれば、すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。
この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにあるものです。ですから、この世の苦しみや悲しみを、そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。
経験は経験―。しかし、そこから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、忘れないでいただきたいと思います。
これから、真実への戦いの時代に入っていきます。まだまだ、私の思いとはるかにかけ離れた現実が維持されております。
どこまで我慢できるかは分かりませんけれども、ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。
今、危機のなかを走っているのだということを、知っていただきたいと思います。
本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものを尊くないものとして、見分けていくことを望みたいと思います。
Happy Science『地獄の法』救世主からのメッセージ より
【関連ブログ】
・あの世の5次元世界 善人界①
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・あの世の5次元世界 善人界②
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・あの世の5次元世界 善人界③
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・あの世の5次元世界 善人界④
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・あの世の6次元世界 光明界①
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・あの世の7次元世界 菩薩界①
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・あの世の4次元世界 ”死後の世界” 精霊界・地獄界①
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・あの世の4次元世界 ”霊の本質” 精霊界・地獄界②
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・あの世の4次元世界 ”永遠の生命” 精霊界・地獄界③
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・あの世の4次元世界 ”進化への道” 精霊界・地獄界④
https://ameblo.jp/happylife-happyhealth/entry-12832875109.html
・人間には「前世・現世・来世」がある 因果応報①
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12833502756
Happylife-Happyhealth
Happy Science『復活の法』より
現世の生き方が来世につながる 因果応報② をご紹介いたします。
現世の生き方が来世につながる 因果応報②
目次
①「心の針」を、どの方向に向けているか
② 同じルールの下でも実力には個人差がある
③ 来世以降に宿題を残さないようにする
④ 知らずに犯す罪を贖えるだけの高度な価値を生む
⑤ 自由の解釈によって未来が変わってくる
①「心の針」を、どの方向に向けているか
三世の因果が現実に成り立つためには、肉体を離れた自分というものが、どこかになければなりません。
過去世の自分は、いまの自分の肉体と同じではなく、また、来世の自分も、いまの自分の肉体と同じではないので、肉体を離れた自己認識というものが、どこかになければならないのです。
そして、自分のカルマ(業)、魂の傾向性には、肉体に宿ったために盲目となり、霊的な意味がわからないまま、あることを反復して行ったり思ったりして形成してきたものが多いと言えます。
走っている電車は、急に止まろうとして運転手がブレーキをかけても、慣性の法則というものが働いているため、急には止まれません。
それと同じように、ある人が、数十年の人生において、一定の傾向を持ち、繰り返し何かをなしているときには、その傾向自体は、すぐにはなくならないのです。必ず、あとあとへと尾を引くことになります。
ここで思い出されるのは、天台大師智顗が説いた「十界互具」や「一念三千」という教えです。
十界互具とは、天上界の最も上の心境から地獄界の最下層の心境までを十通りに分けて、「その十通りの心境を、上は仏から、下は真っ逆さまに地獄に堕ちた人まで、全員が具えている。
誰もが、心のなかに、そういう機能自体を持っている。しかし、もともと持っている機能が、どういう表れ方をするかは、人によって違ってくる」という考え方です。
すなわち、「確かに、すごい怒りに包まれた人の心は地獄に通じる。しかし、菩薩や仏は、心のなかに、怒るという機能をもっていないかというと、そうではなく、やはり、そういう機能自体は持っている」と考えるのです。
この世に生まれた菩薩や如来には食欲がないかというと、そんなことはありません。また、断食修行をしたからといって、食欲自体がなくなるというわけでもありません。
人間である限り、作用としては同じものを、基本的に、すべての人が持っているのです。
しかし、「心の世界から観た人間には三千もの種類がある」という一念三千の教えのとおり、「心のあり方を、どのように調整していくか。心の針を、主として、どの方向に向けているか。これによって人間は違ってくるのだ」ということです。
ラジオという装置においては、電波を上手に受信できなければ、きれいな音楽が放送されていても、その音楽は、きれいに聞こえませんが、心についても、
「きれいな音楽が聞こえるか、雑音が入るか、それは心のあり方によるのだ。装置そのものが違うわけではないが、心のあり方によって、そのように違いが生じるのだ」というように考えるのが天台大師の思想なのだ。
これは、ある意味で、ほんとうだと思います。
「仏は仏、菩薩は菩薩、阿羅漢は阿羅漢、地獄の鬼は鬼」という具合に、それ一つだけの心で固まっているかというと、そうではありません。
いろいろな心の可能性を、すべて持っていながら、「どの部分が最も強く出ているのか」ということによって、それぞれの悟りの段階が定義されていると見てよいのです。
② 同じルールの下でも実力には個人差がある
将棋の名人と素人とが、ハンディをつけないで平手で将棋をして、素人が勝てる可能性は何パーセントあるでしょうか。
「名人がわざと負けるつもりでなければ、99.9パーセント名人が勝つ」と言いたいところですが、現実には、素人は名人に100パーセント勝てないでしょう。勝ち負けは、やる前から分かっているのです。
ただ、将棋というゲームにおいては、名人であろうと素人であろうと、駒の動かし方のルールは同じです。名人の駒だからといって、王将が一回に5マスも進むことができたり、飛車が斜めに動けたりすることはありません。
また、その日に将棋を習い始めたばかりの人はともかく、ある程度、素人同士で将棋を長く指してきた人であれば、名人と将棋をして駒が一枚も取れないということは、まずないのです。
名人であっても、自分の駒を少しは捨てないと勝てません。相手が名人であろうと、素人にも駒の一つや二つは取れるのです。
名人であっても、駒の動かし方のルールに従わなくてはいけません。その点では素人と全く同じです。しかし、名人と素人とでは腕に差があるのです。
名人であっても自分の駒を取られますが、名人は、それを見越した上で、最終的に勝利することを目指しているため、そういうことが起きるのです。素人は、名人から駒だけは取れますが、勝てはしません。
心に関しても、これと同じことが言えます。
天上界の大如来から地獄の奥底にいる人たちに至るまで、適用されるルールは同じです。この世に生まれた大如来が、この世の法則を全部ねじ曲げて自由自在に生きられるかというと、そうではありません。
地上に生まれた大如来であろうと、地獄に千年もいてから天上界に上がり、そのあと地上に出てきた人であろうと、3次元のルール、この世のルールは、同じかたちで適用
されるのです。
誰であっても、一日に何回かは食事をしなくてはなりませんし、食べたものがあれば排泄するものもあります。
また、学校で勉強していないことは、どこかで補わないかぎり、身につきません。
たとえば、日本人として生まれた人は、大如来であろうと、地獄のサタンの経験者であろうと、英語の勉強をしなければ絶対に英語ができるようにはならないのです。
もちろん、人によって、マスターの度合いには違いがありますが、英語ができるようになるためには英語の勉強が必要なのです。
そのように、誰であっても、この世で生きていく上でのルールは同じです。
将棋の名人でも駒を取られることがあるように、如来や菩薩であっても、今世を生きる過程で、いろいろな失敗をしていきます。
ただ、如来界や菩薩界から出てきている人は、人生の目的や使命に関して、霊的な人生観を持っていることが多いのです。
そのため、たとえ、この世的に敗れるようなことがあっても、トータルで見て、今世の使命そのものは最終的に逃さないように生きようと努力します。
そういう人たちは、「この世的な成功ではなく、この世とあの世を貫く成功を得るような生き方をしよう」という強い意志を持っているのです。
如来や菩薩であっても、この世的には、貧乏や病気が原因で死ぬこともありあすし、重罪人として、死刑台の上で露と消えることもあります。
それは、この世的には失敗に見えます。しかし、トータルの人生観において、人生に対する見方が間違っていない場合には、将棋の名人と同じで、負けることはほとんどないのです。
ところが、将棋で言えば、駒の一枚か二枚を取っただけで、もう、「勝った、勝った」と大騒ぎをしている人もいます。
「実は、最終的に勝負で負けている」ということに気づかず、「駒を何枚取ったか」というようなことで喜んでいる人は、この世において、不当な出世をしたり、不当な金儲けをしたりしているような人に当たるでしょう。
したがって、自分では「成功した」と思っても、実は、そうではないこともあるのです。
天台大師が説いていることは、将棋にたとえれば、「名人であろうと、素人であろうと、駒の動かし方などのルールは同じであるが、名人は素人に100パーセント勝てる。
たとえ駒落ちであっても同じである。勝ち負けに関して、名人と素人とのあいだには、かなり実力の差がある」ということだと言ってよいでしょう。
転生の過程で多くの指導をしてきた人は、やはり、それだけ熟練しているので、悟りの機縁に触れて悟るのも早いし、人々への教訓を見いだす力も大きいのです。
また、そういう人には、間違っている人、困っている人、苦しんでいる人たちに対して、「助けたい」という気持ちが自然に湧いてきます。そのような部分で、優れたところは数多くあるのです。
③ 来世以降に宿題を残さないようにする
話を因果の理法に戻すと、釈尊の教えも、基本的には、そういうことなのです。
過去世でのことについては、今世では手が及ばないが、今世でのことは、少なくとも来世につながることは確実である。
今世を生きていく過程において、悪い種子を心のなかに巻かないようにしよう。悪い種子をまけば、生きているあいだにも、それは育ってくるが、死んだあとであっても、それがなくなることはないのだ。
魂の傾向性として宿題が遺り、来世では天界以外の所に行くことになる。
さらに、来来世という、その先の生まれ変わり、もう一回先の生まれ変わりにおいても、その宿題を持って生まれることになる。
今世の何十年かの人生でつくった、魂の傾向性、カルマというものは、来世以降も、かなり持ち越すので、そういう宿題を残さないようにしよう。
宿題を残さないようにするには、どうすればよいか。
まず、まく種に気をつけ、悪い種をまかないようにしよう。悪い種をまいてしまったら、次に、それが育たないように努力しよう。
それが育ってしまったときには、今世において刈り取れるものなら、それを刈り取ってしまおう。
このように釈尊は説いたのです。
④ 知らずに犯す罪を贖えるだけの高度な価値を生む
悪の種というものは常にあります。
また、どのような人であっても、一つの悪も犯さずに一生を送ることはできません。もちろん、悪を犯したことに自分では気づかない場合もあります。その部分にまで光を当てられたならば、悪を犯さずに生きることは無理なのです。
たとえば、一匹の虫も殺さずに人生を生きることは不可能です。殺したことを自分は知らなくても、実際には殺していることがあります。
自分の手で叩き落とさなくても、蚊取り線香が仕事をすることだって当然あります。道を歩いているときにアリを踏みつぶしても、気がついていないことも数多くあるでしょう。知らずに殺している虫もたくさんいるのです。
また、牛肉や豚肉などを、一生のうちに、いったい、どのくらい食べるのでしょうか。何頭、牛を食べるのでしょう。何匹、豚を食べるのでしょう。何羽、鶏を食べる
のでしょう。かなりの数を食べることでしょう。
その牛や豚、鶏は、自分以外の人が殺してくれているので、自分には罪悪感は在りませんが、その動物たちが屠殺される現場に実際に居合わせたならば、そのあと、その肉を食べられたものではないでしょう。
動物たちは、やはり、殺されることを嫌がっています。死にたくないのは人間も動物も同じです。今世の命を全うしたいのは動物も人間も同じですが、動物たちは、人間の食用に供されるために命を奪われています。
その現場を見れば、その肉を食べられたものではありませんが、その嫌な仕事を他の人がやってくれているので、機嫌よく食べることができるのです。
魚だって同じです。魚にだって、考えはありますし、魂もあります。魚も喜怒哀楽の感情を持っています。しかし、人間は魚を食べて生きています。
人間が一人、一生を生きるために、多くの生き物の命が犠牲になっています。この犠牲なくして人が生きられるかというと、なかなか、そうはいかないのです。
「私は、ベジタリアン(菜食主義者)であって、肉は食べていない」という人がいるかもしれませんが、菜食だって同じです。
植物にも魂があります。植物は、動物のように躍動的ではなく、もっとゆっくりとした動きしかしませんが、植物にも、きちんと魂はあるのです。その姿形は、ある意味では、動物よりも、もっと人間的な姿をしています。
植物だって、この世での使命を果たしたいのですが、やはり食べられてしまいます。その点では動物と同じです。
動物や植物の命を奪うことなくして一生を生きることは、今世に生まれた以上、できません。それは不可能なことなのです。そのため、実際に、多くの動植物が犠牲になっています。
さらに、そういう動植物だけでなく、多くの人たちの汗と涙、その他の努力の下に、人間は生活できているのです。
罪無くしていることは、なかなか、できるものではなく、むしろ、罪多くして生きることになります。
そこで、多くの動植物が犠牲になってくれたとしても、それを贖えるだけの生き方をしなければいけないのです。
⑤ 自由の解釈によって未来が変わってくる
カルマというものが、ある意味で、お金と同じようなところがあります。お金は、借りたら返さなくてはいけませんし、貯金をすれば、自分で使える範囲が広くなりますが、カルマには、これとよく似たところがあるのです。
すなわち、「人間は、今世を生きているあいだに、いろいろなところから ”借金“ をして生きている。今世の内に返さなければ、その借金は来世に持ち越すことになって、来世で必ず返さなくてはいけなくなる。
したがって、なるべく今世のうちに借金を返し、貯金に変えておいたほうがよい。ということを仏法は勧めているわけです。
人間はだれしも、自由に生きているつもりでいるのですが、高貴な使命や倫理観を伴った自由、要するに、責任を伴った自由を行使した者は、霊的には、貯金を積みながら生きていることになります。
一方、同じ自由であっても、責任を伴わない自由、堕落の自由、他の人を害したり墜落させたり、みずからも墜落したりするような自由を行使して生きたならば、それは、霊的には、借金にまみれた生活をし、借金を背負っていることと同じなのです。
ところが、そういう借金を自分が背負っていることに気づかない人が大勢いるのです。
親に対して、「自分の肉体を自分の好きなようにして何が悪い。自分の心だって自分のものではないか。自分の思うように生きて何が悪い。ほかの人に何か言われる筋合いはない」というような言い方をする人は、たくさんいます。
しかし、肉体は両親から頂いたものです。魂は、両親から頂いたものではありませんが、仏から頂いたものです。転生輪廻の仕組みができたときから、魂は、きちんとあるのです。
何世代にもわたって、生きる力を与えられたのです。さらに、人間は、数十年を生きるために、数多くの犠牲に支えられて生きているのです。
したがって、「自分の肉体も心も、もともと借りているものなのだ」と思わなくてはいけません。借りているものなのですから、それをお返ししていかなくてはならないのです。それが人生なのです。
「自分の人生はプラス・マイナス・ゼロだ」と思っているかもしれませんが、「プラス・マイナス・ゼロだ」と思ったならば、実際には、借金づけの生活をしていると見ても違いありません。
「自分は、とてもよいことをしてきた」と思えて、やっと、借金が消えるかどうか、ぎりぎりのラインであることが多いのです。
多くの人は、借金を持ったまま、あの世に還っていき、その借金の重みでストーンと沈んでいきます。自由の解釈いかんによって、そのように未来が変わってくるのです。
Happy Science『復活の法』 より
仏法真理の基本的考え方
正しき心の探求としての「四正道」
幸福になるための四つの道
正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。
その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。
正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。
「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。
① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。
② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。
③ 「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。
④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。
霊界の基本構造観
霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています
3次元:地上界
4次元:精霊界、地獄界
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5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)
6次元:光明界(各界の専門家達の世界)
7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)
8次元:如来界
9次元:宇宙界
・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。
四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。
ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。
・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。
心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。
その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。
転生輪廻と守護霊
人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊しています。
・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています
人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。これを「転生輪廻」といいます。
・転生輪廻の目的は “悟りの向上”
人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。
・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています
この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。
私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『復活の法』 よりお伝えしています。