あの世の4次元世界 ”死後の世界” 精霊界・地獄界①

 

 

いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

 

人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです。

 

 

この3次元世界(魂の修行の場)を超えた、4次元以降の実在界ついて、5次元善人界、6次元光明界、7次元菩薩界について『永遠の法』からご紹介をして参りました。

 

 

さて、人間は死んだらこの4次元以降の実在界へ戻ることになるのですが、多くの人がまず行くことになる世界、あの世の4次元世界は、5次元善人界(天国)へ戻れない人たちが住むことになる世界です。50%を超えて、60%、70%と増え続けているようです。

 

 

この3次元世界に生きているうちに、天国とは呼べない4次元世界 精霊界・地獄界を知り、5次元善人界以上の天国と呼ばれる世界へ戻れる心境、悟りを得ることができれば幸いです。

 

 

 

地獄界の増大と悪のまん延のなかで

 

 

今、地獄界の増大と、地上世界における、生きている人たちの心の在り方の、悪のまん延に、たいへん心配を重ねています。

 

 

どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、実に、この世的に足場を置いている者にとっては、分かりにくいことではあろうけれども、

 

 

「この世で目が見えている者が実は見えていなくて、この世のものでないものが見えている者が、本当に目が見えている者である」という、逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。

 

 

これさえ分かれば、すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。

 

 

この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにあるものです。ですから、この世の苦しみや悲しみを、そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。

 

 

経験は経験―。しかし、そこから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、忘れないでいただきたいと思います。

 

 

これから、真実への戦いの時代に入っていきます。まだまだ、私の思いとはるかにかけ離れた現実が維持されております。

 

 

どこまで我慢できるかは分かりませんけれども、ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。

 

 

今、危機のなかを走っているのだということを、知っていただきたいと思います。

 

 

本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものを尊くないものとして、見分けていくことを望みたいと思います。

 

 

Happy Science『地獄の法』救世主からのメッセージ より

 

 

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。

 

 

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Happylife-Happyhealth

Happy Science『永遠の法』より 

あの世の4次元世界 ”死後の世界” 精霊界・地獄界① をご紹介いたします。

 

 

【この世を去った実在界の次元構造】 については、エル・カンターレの世界観 『永遠の法』 に詳しく書かれています。要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。

 

 

 

あの世の4次元世界 精霊界・地獄界①

 

 

目次

① あの世とこの世

② 死後の世界

③ 肉体の記憶

 

 

 

① あの世とこの世

 

 

人間にとって、「自分はどこから来て、どこへ去っていくのか」ということは重大問題であり、これが心の底から離れることはないでしょう。しかし、人間がどこから来て、どこへ去っていくのかという問題に、明快に答えきったことがある人は少ないと思われます。

 

 

なぜなら、この問題は、あの世とこの世の関係を解明せずしては、答えが出ないものだからです。しかも、残念ながら、現在、地上にある学問には、あの世とこの世について明快に説明するだけの学問的蓄積もなければ、確立された方法論もありません。

 

 

かすかながらも、あの世とこの世を解明する手立てとして、時代時代に現れる霊能者の活躍があります。と言っても、霊能者にもさまざまな人がいます。そのなかには、ほんとうに信頼できる人もいますが、たいていの場合は、人格的に未熟な人、人格的におかしい人です。

 

 

そのため、世の人びとは霊能者の言葉を一様には信ずることができません。

 

 

霊能者と言われる人が「○○の霊が見えた」「あなたは一年後にこうなる」などと言ったとしても、それを実証するものは何もありません。そのため不安感が遺り、なかなかそれを信じることができないのです。

 

 

すなわち、あの世とこの世を解明するにあたっての不確かさというのは、追体験できないというところに原因がるのです。

 

 

もし誰もが霊能者と同じような体験を重ねることができるならば、あの世があることを、すべての人が認めるでしょう。しかし、実際には、特殊な人にしか追体験を許されないことになっています。

 

 

それゆえ、普通の人にはあの世の存在がわかりません。そこで、世の常識ある人日とは、あの世の存在や、あの世とこの世のかかわりというものを、認めたがらないわけです。

 

 

人間は人生観や人生の目的を常に考える存在ではありますが、それは一大問題であるため、「大宇宙のなかにおいて、自分はどのような存在なのか」ということを明確につかむまでは、人生観や人生の目的を確立しえないのです。

 

 

もし、唯物論者の言うがごとく、母親のお腹になかに生命がいきなり発生して、六十、七十年を生き、やがて火葬場で焼かれると、人生がそれで終わりになってしまうのならば、それなりの考えを持って生きていかねばならないでしょう。

 

 

ところが、宗教家たちが言うように、「あの世、実在界という世界があり、魂はあの世からこの世に生まれ変わってきて、何十年かの人生を生きる。そして、この地上を卒業したあとも、実在界において、更なる魂の向上を目指している」というのが真実ならば、とるべき考え方は違ってきます。

 

 

人生を学校教育にたとえた場合、いくつかの見方があると思いますが、裕物論の考え方は、「小学校の六年生がすめば義務教育は終わった」というような考え方でしょう。それは、人生を小学校のなかに閉じ込めているのです。

 

 

しかし、「霊界という世界があり、人間は永遠の生命を持って転生輪廻している」という考え方は、「小学校を出ても、中学校があり、高校があり、大学があり、大学院があり、そして社会に出てもさまざまな学びがある」というように、連綿と続く学習の場として人生を考えることになります。

 

 

こうした定点から人生を見た場合、どちらが人間の進化や向上に役立つかといえば、結論は明らかでしょう。永遠の進化を目指すという観点に立ったときに、人間ははるかに向上していくということです。

 

 

人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。

 

 

その短い期間を線香花火のように燃え尽きるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣な生活をしてしまうのでないでしょうか。また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。

 

 

わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。

 

 

しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧となって戻ってくる」と考えられるのでないでしょうか。

 

 

したがって、人生観、あるいは人生の目的と使命を考える際に、あの世とこの世という視点を理解しておくのは非常に大切なことです。これを外しては、人生や人間を、ほんとうの意味で知ることはできないのです。

 

 

 

② 死後の世界

 

 

この世を去った人たちが赴くところ、人間が肉体を去ったあとに行くところを、あの世とするならば、あの世とはいかなる世界なのでしょうか。地上を去った人たちを、どのような世界が待ち構えているのでしょうか。

 

 

それが分からないために、地上の人びとは不安や恐れを抱き、「死にたくない」という言葉に、地上への執着を表しているのです。実際、百人に訊けば、九十九人までが、「死にたくない」と言うのでしょう。

 

 

こうした言葉が発せられるのは、「この地上が住みやすいから」という理由だけではありません。あの世の世界、死後の世界に対する不安感や恐怖感が大きいからこそ、「死にたくない」という気持ちがあるのです。

 

しかし、まれには、この世があまりにも住みにくいがために、あまりにも苦しい世界であるがために、死に対する不安感や恐怖感を通り越して、みずからの生命を絶ち、あの世へ旅立とうとする人もいます。

 

 

いずれの考えをとるにしても、あの世の世界、死後の世界に対する無知が、その基礎にあると私は考えます。死後の世界に関することは、まだ学問として確立していないがために、人びとは困ることになるのです。

 

 

私は、それをできるだけ明確にして、水先案内人としての使命を果たす必要があると考えています。

 

 

海図なき航海は不安なものです。しかし、明確な海図があれば、航海はそれほど不安なものとはなりません。そして、「みずからがどこから来てどこへ行くのか。どの大陸を目指して進んでいく船なのか」ということを知れば、つまり、海図を理解していれば、確かな旅ができるはずだと思います。

 

 

では、実際に肉体を去ったとき、人間はどのようになるのでしょうか、これについて話をしましょう。

 

 

私はさまざまな著書において、「人生というものは、わずか数十年の、肉体としての人生だけではなく、この世とあの世を貫くものだ」ということを語ってきました。

 

 

ところが、実際に死に直面すると、人間は死ぬことに対して抵抗するものです。病人は病人で、「死にたくない」と言い、医者は医者で、何とか病人の生命を延ばそう努力をします。

 

 

しかし、あの世の世界から見ると、死期の近づいた人のそばには、本人の守護霊や指導霊、あるいは天使たちがすでに来ています。つまり、指導霊たちは、死期の近づいて人を導くための準備を始めているのです。

 

 

そして、地上の生命が生き途絶えたときには、霊体というものが肉体から抜け出すのです。しかし、最初は自分自身にその自覚がなくて、「自分が二人いる」と感じてしまいます。

 

 

横たわっている自分と、自由自在に動いている自分がいる。自由自在の自分が人に語りかけても、返事は返ってこない。そして、壁でも物体でも通り抜けてしまう―—。そのことに、最初は非常な驚愕を覚えるのです。

 

 

また、「横たわっている肉体が自分だ」と思い、ずっと肉体に寄り添っていた魂は、肉体が火葬場に運ばれて、そこで焼かれることによって、非常な衝撃を受けることになります。

 

 

そして、どうしたらいいのか分からず、火葬場の周りを浮遊しながら、「今後、どのような生活が待っているのか」と、まだ誰からも聞いていない生活に対して非常な不安を感じます。

 

 

こうしたときに、まず本人の守護霊が現れて説得を始めるのです。とはいえ、地上に数十年生きていたときに、死後の世界の存在について、なかなか説得が行かなかった人は、守護霊に説得されたからと言って、そう簡単には納得しません。

 

 

そのため、数十日間、地上で説得が行われることになります。

 

 

初七日や四十九日という言葉がありますが、通常、二十日から三十日間は、死後も地上に留まっていることが許されています。その間に、普通の人は守護霊や指導霊の説得を受け、天上界へと還っていくことになっています。

 

 

ただ、執着、つまり地上的な何かに対する思いのあまりにも強い人、たとえば、子供、父、母、妻、夫、あるいは、土地、建物、財産、会社、事業など、こうしたものに非常に強い執着を持っている人は、地上を去りがたくて、いわゆる地縛霊となり、地上に留まって徘徊することになります。

 

 

これが世にいう幽霊です。

 

 

これはまだ霊として目覚めていない存在だと言うことができます。

 

 

 

③ 肉体の記憶

 

 

ほとんどの人は、あの世の世界に来ると一様にショックを受け、また、たいていは狼狽するのですが、そのうちに、あの世での生活にだんだん慣れてきます。

 

 

そして、自分は肉体がなくても生きていけることに気がついてきます。二十日、三十日と、何も食べなくても死なないことや、何も飲まなくても生きていられることに驚きを感じる

 

 

やがて、「地上の人びとに話しかけても、まはや相手には何も聞こえないのだ」ということに気がついてきます。そこで、「こうしたことを、いつまでもしてはいけない」ということが分かってくるのです。

 

 

こうして、霊となった人間は新しい感覚を身につけていくようになります。新し感覚とは何でしょうか。それは霊的な感覚です。

 

 

空中をさまようことができる。物体を通り抜けることもできる。長距離であっても瞬時に移動できる。まだ地上に思いが残っていても、「親戚のあの人に挨拶をしたい」「あの友人にあいたい」と思うと、その瞬間に霊体が何百キロでも移動してしまう。

 

 

こうしたことに最初は新鮮な感激を覚えるのですが、やがてこれが普通に感じられるようになってきます。そして、小学校一年生と同じように、「新たな世界のなかで、自分はどう生きていかなければならないのか」と、世界観と自己認識のあり方を探求しはじめるようになります。

 

 

一方、生前の記憶はだんだん薄れていくのですが、なかには、それが薄れないで、ますます強くなる霊もいます。つまり、二種類の霊に分かれることになるのです。

 

 

死後、この現象界をしばらく徘徊していた霊たちも、ほとんどの場合は、先に亡くなった友人や両親、あるいは守護霊などに導かれ、やがては四次元世界にある収容所に連れていかれます。そして、その収容所において、自分が地上に生きていたときのことを反省させられるのです。

 

 

そのときの反省の基準は、主として、「霊的な目から見ると、自分の人生はいかに間違っていたか」ということです。すなわち、肉体中心の生き方について、つくづく反省させられることになるのです。

 

 

地上で肉体中心の生活をして、霊的に目覚めていなかった者は、反省の結果、四次元にある、いわゆる地獄という世界にっみずからの選択と判断によって赴き、そこでさらに厳しい試練を受けることになります。

 

 

しかし、霊的な生き方をしなかったとしても、それを「過ちであった」と素直に認め、悔い改めた者は、四次元のなかでも、精霊界という、調和された霊たちがいる世

界へと行くことになります。

 

 

このように、肉体を持っていたときの記憶を中心にして、その後の人生が分かれるのです。これは、いわゆる閻魔大王が裁くのかといえば、そうではなく、自分自身の良心、善なる心、仏の子としての本性が、みずからを裁くのです。

 

 

つまり、「まだまだ修行が足りない」と自分自身で思い、守護霊などと相談のうえ、地獄で修業をすることになるのです。もっとも、地獄に長くいるうちに、そのことを忘れてしまい、「自分は厳しいことをさせられている」と思うようになるのですが・・・・・。

 

 

ただ、凶暴な人になると、そうした過程を経ることなく、死ぬとすぐ真っ逆さまに地獄へ行く場合もなきにしもあらずです。こうした者たちは、地上の人間を惑わそうとして暴れています。地上にも、暴力団、ヤクザなどがいますが、これと同じ類であると思って間違いありません。

 

 

 

Happy Science『永遠の法・エル・カンターレの世界観』 より

 

 

 

仏法真理の基本的考え方

 

正しき心の探求としての「四正道」

幸福になるための四つの道

 

正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。

その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。

正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。

 

「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。

 

① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。

 

② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。

 

③  「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。

 

④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。

 

 

霊界の基本構造観

霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています

 

 

3次元:地上界

4次元:精霊界、地獄界

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5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)

6次元:光明界(各界の専門家達の世界)

7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)

8次元:如来界

9次元:宇宙界

 

 

・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。

 

四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。

 

 

ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。

 

 

 

・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。

 

 

心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。

 

 

その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。

 

 

転生輪廻と守護霊

人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊しています。

 

 

・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています

 

 

人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。これを「転生輪廻」といいます。

 

 

・転生輪廻の目的は “悟りの向上”

 

 

人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。

 

 

・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています

 

 

この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。

 

 

私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。

 

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---

 

                                                 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『永遠の法・エル・カンターレの世界観』 よりお伝えしています。