母子家庭という閉鎖的空間で
起きていた虐待のリアルを
伝えるために書いてます。




今回の前提…



・時代は平成の初め

・家は4.5畳+6畳で襖を外して生活

・母親は2回目の離婚後

・妹を含めた3人暮らし





私と母親だけの閉鎖的空間に
突然父親違いのが登場。
母親の妊娠出産の記憶がないだけ笑



妹が登場してから
私と妹の扱いが
ずっと区別されてた。



母親も、妹の父親も
私にはお金も時間も
使ってくれなくて。



いろんなことを
妹の扱いと比べては、


私は可愛がられない
私は愛されない
私には居場所がない


って思ってた。



小学校低学年の頃には
そんな前提が出来上がってたから
友だち付き合いが下手で
同級生の仲間に入るために
必死でお伺い行動してた。






小学校低学年の夏休み、
同級生とお祭りに行きたくて
1人の子に声をかけたの。



そしたら、
「◯◯ちゃんに聞いて」
って言われて。



◯◯ちゃんの家に電話すると
「一緒に行く子みんなに聞いて」
って言われたから、


◯◯ちゃんが約束してた全員に
電話をかけることになった。



で、全員に電話をかけて
事情を説明して
一緒にお祭りに行く
許可をもらった。



そうでもしないと
同級生の中での
居場所が保てなかった。



家ではどうだったかというと、
妹の父親と離婚した母親の
潔癖症
完璧主義
負けず嫌い
ヒステリック
が、エスカレート。



学校で頑張って友だちとの
関係性を繋いでいても、
家に遊びに来てもらうことができない。



母親が潔癖だから
家に人を上げることが
許されなかった。






潔癖症な母親は
母親と妹以外を
不潔扱いしてた。



だから家に帰るとまず
玄関で靴下を脱いで
雑巾で足を拭かないと
家に入れない。



それも徐々に変わって行って
そのうち、お風呂場で足を
洗わないといけなくなった。



その言い付けを守ってたんだけど
その後さらに変わっていって。



足を洗ってから部屋に入っても
私が歩いたところを
雑巾掛けをしながら
ついてまわるようになった。







これも妹に対してはやらないの。



同じ家族のはずなのに
私だけ不潔扱い。



祖父母宅に逃げたいと思っても
自転車で30分以上かかる学区外。



小学生の私1人で
行ける距離じゃなかった。



同級生との出来事も
家での出来事も


誰にも話せなかったし
誰かに助けを求めることも
できなかった。



身体的暴力は当然
同時進行で継続中。



同級生からの仲間外れは
いじめに発展。



母親の雑巾掛けは
産後の里帰り中も続きました。



こうして振り返ると
小学生の頃から
他人の許可
求めて生きてたんだな…赤ちゃん泣き



母親が私のことを
存在してるだけで
価値があるっていう
扱いをしてなかったから。



必然的な結果だね魂が抜ける