過去に好評だった
シリーズを再編気づき



​*まゆの自己紹介*
・ナリ心理学認定心理アドバイザー

・アラフォー看護師

・自己紹介詳細はコチラ指差し

 



前回の話はコチラ↓

母子家庭という閉鎖的空間で
起きていた虐待のリアルを
伝えるために書いてます。



今回の前提…



・母親が父親に追い出される形で離婚

・離婚当時、時代は昭和の終わり頃

・家は4.5畳+6畳で襖を外して生活





身体的暴力が始まった最初の頃は

素手で顔面平手打ちだったのが
叩く側の母親の手か痛いからと
私を叩く時に道具を使い始めた。


我が子を叩くために
道具を選ぶという
完全なる狂気



母親と私2人だけの
閉鎖的空間だったのが
私の記憶に突然
妹が登場します。



と言っても、
妹は継父の連れ子ではなくて
母親が産んだ子。



私の父違いの実妹ね。



でも、
母親が妊娠してた記憶はないし
母親の出産前後の記憶もない。



妹出産前後の記憶の
ほとんどがないの。



記憶から消してしまうほどに
イヤな記憶だったんだろうか笑
もしかしたら私が排除されてた?



そして、
母子2人の生活にいつのまにか
赤ちゃんと知らないおじさん
登場したことになる。
母親の再婚相手=妹の父親ね









その頃の私は
祖父母宅に預けられていたっぽい。
祖父母宅は自転車で30分以上の距離



タクシーか
祖父のバイクの後ろに乗って
保育園に行ってたのは覚えてる。



保育園児が
タクシーで登園って
バイクのニケツって笑い泣き



ある時から始まった
母親と私
あかちゃん
知らないおじさん
の、4人暮らし。



住む場所は変わらず
4.5畳+6畳で
襖を外しての生活。



母親の実の娘。
知らないおじさんの実の娘



母親の実の娘だけど
知らないおじさん
(妹の父親)にとって他人の子



しかも私は既に保育園児。



乳児のような可愛さなんて
もう無い年頃。









ずっと扱いが
区別されてた。



は新品のものを
買って与えられる。
一緒に旅行にも行ってた。




は妹の父親の職場で
余ったものを与えられる。
(文房具とか雑誌の付録とか)



わざわざ買ってもらえない。
服は祖母の手作りが多かった。



私1人だけが祖父母宅に
預けられることがよくあった。


4人で旅行や出かけた記憶はない。


妹の父親は私にだけ
物を投げつけることがあった。



小学校低学年の頃、
自宅の古くて狭い
昔ながらの浴槽に
4人で入らされた記憶がある。



お風呂に入ってる途中で
妹の父親から身体の話をされて
めちゃくちゃ気持ち悪くて
嫌だったのを覚えてる。








4人での生活は3.4年で終わった。



その頃の母親が
私に対してどう接してたのか
全く記憶にない。



ただ、


妹は可愛がられてる
愛されてる
私とは違うんだ


って思ってた。



妹のことは嫌いじゃないの。



赤ちゃんの頃は
めちゃくちゃ愛おしくて
妹の布団に潜り込んで
一緒に寝たりしてた。



でもずっと、
頭の片隅にはくっきりと
この子は父親違いの妹
って認識があった。




妹の父親は
母親と離婚して
家を出て行った。



離婚したことで
母親を抑えるものが
無くなったのかも。




母親の
潔癖症で
完璧主義で
負けず嫌いで
ヒステリックな性質が
エスカレートしていきます。