健康と平和、平時と緊急時の対応が違うのは当たり前 | 日本は世界を平和にします

日本は世界を平和にします

オーストラリアに移住してから日本がとんでもなくいい国だと言うことに気が付きました。
世界を平和にするのは日本ですよ、間違いない。
でもそのためにはまず日本が元気にならなくっちゃね。
ダーウィンから応援しています。

テロリストの人質となっていた安田氏が解放される際に支払われた身代金について、資産家の前澤氏と政治家の丸山穂高氏がツイッターで舌戦を繰り広げたことが話題になっています。

 

Livedoor newsより

ZOZO前澤社長と丸山穂高議員がテロ問題解決を巡りツイッターで激論

 

前澤氏の発言を読んで、ん?と思うところが。

 

平和主義国であり被爆国でもある日本が、国際社会を代表して、そうしたテーブルを用意し、そこへテロリストと呼ばれる人たちに丸腰で来てもらい、さあ冷静に話しませんかと、あなたたちの本当の目的は何なんですか?と議論の場を設けることはできないだろうか。

 

どうかな~と思いました。私は被爆地の出身ですから、戦争や平和のことについて話すときに外国人が真剣に取り合ってくれる、というのは何度も体験しています。しかしそれは相手が聞く姿勢がもともとあるから。しかしテロリストに被爆国だからとか持ち出しても、多分「それがどうした?」になるのではないかと。ちょっとずれているな、、、、と思った次第です。

 

そのずれはどこから来るのか?というのを考えてみました。

 

そこで「平和」というと漠然としていてわかりにくいので、人間でいうところの健康であると考えてみましょう。(例えですから、いや違う、健康だからと言って平和ではない!!とかいう突込みは置いておいて)

 

でまぁ、健康を維持するためには人間はいろいろなことをするわけです。普段から健康により食べ物を食べ、ジムに通って適度な運動をし、しかし病気になれば、お医者さんに診てもらい、お薬をもらったり、症状がひどければ手術をしたりすると。

 

健康を維持するには、予防、維持、そして病気の場合には治療、どちらも大事です。

 

 

しかし平和な国に住んでいる人たちが特に、テロリスト相手には「丸腰で話し合いを」とか、「酒を酌み交わせばわかりあえる」という対処法を勧める人がいますが、これ健康で例えたら、怪我で息も絶え絶えの人に、「健康のためにフィットネスをしましょう」と言ったり、病気で入院してあすにも手術をしなくてはならない人に「このブロッコリーを食べると健康になりますよ」と勧めるようなものだと思うのですよね。

 

瀕死の状態の人に必要なのはお医者さんによる治療です。フィットネスのインストラクターは場違いなわけです。ついつい日本やオーストラリアにいると、皆が同じような状態(健康維持をしている)と思いがちですが、世界には瀕死の状態の人たちもいることを忘れがちなのですよね。それでつい、瀕死の人に健康になるためのアドバイスをしてしまうわけです。

 

しかしもちろんインストラクターや健康番組が必要とされる場所もあります。健康を維持したい、またはちょっと運動不足で体調が、、、なんて軽い症状の時こそ、インストラクターの出番です。健康維持に努めているときに、お医者さんが注射やメスを持って登場しても迷惑がられるだけですしね。

 


つまりは、ひっ迫した状況にはそれに対応できるプロに任せること。紛争やテロの時の場合には、屈強な兵士や老練な交渉人などの紛争のプロが対応すべきと思います。そして、紛争が収まれば、トラウマを治療するための精神科や、復興のための人員が役に立ちます。また平和な地域だからと言って何もしなくてもいいというわけではありません。地域の奉仕活動や、教育などで平和な状況が続くように皆努力しています。平和貢献は人それぞれ違うわけです。ということですので、私は前澤氏の言うように話し合いはもちろん大事たと思っていますし、平和実現への意思を否定するつもりもありません。ただ尽力するべきところがちょっと違うのではと感じたから、ん?と思ったわけですね。

 

そしてもう一つ大事なのは、自分たちには想像もできないような状況が世界にはあるのだ、ということを考えうる想像力が必要なのだろうと思います。オーストラリアや日本に住んでいるとついつい忘れがち。健康もそうですよね。病気になって健康のありがたみが分かりますからね。

 

 

 

 

そして問題なのが、個々人は健康のありがたみを感じ、予防策を考え色々な健康法を試したりするのに、その大本になる人類の平和については紛争解決にばかり目が向きすぎていることです。例えば、沖縄の寿命が長いのはなぜか,なんて研究がされたり、どの食べ物が健康に良いかなんてテレビ番組はたくさんあります。それが平和についてはあまりなされていないのが解せない、どちらも大事なのに。

 

超平和な場所があれば、何故そこが平和なのか?を研究することも大事だと思うのですよ。そして平和のファクター(人間の体にとってのら栄養素みたいなものですね)が何なのかをとことん調べて、「こんなプロジェクトをやると地域が平和になるらしい」という健康番組ならぬ、平和番組をじゃんじゃん作るべきだと思うのですよね~~~

 

 

 

実はですね、こういう事を私は真面目に研究したいのです。それでこちらの大学に、PhDの研究材料にできないかと打診したら、良いのではないかという返事が返ってきたので、これから研究のプランを作らなければならないのです。が、これできれば日本の大学と提携研究したいなと考えています。希望としては長崎の大学が良いのですが、平和学の学科がある所がいいのかしらね、、、、現在一つ返事待ちのところです。まぁこれはゆっくり取り組んでいこうとおもっています。

 

平和研究というと紛争解決、または核兵器廃絶の二本立てみたいになっているとように感じられますが、科学で言うところの基礎研究みたいな純粋なる”平和研究”も必要だと思っています。

 

もしもどなたか情報ありましたら、アドバイスお願いいたします。平和研究というと左翼陣の独擅場ですが、保守的思考による平和学研究というのも進めていくべきだと思いませんか?

 

 

 

 

 

それではいつも読んでいただきありがとうございます。

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