四苦八苦と有無同然 | 日常に溢れている幸せと笑いと楽しさ

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最近、仏教の教えがおもしろくて、物理学者のアインシュタインは、

仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である。

と、言われています。
知れば知るほどおもしろくて、スラスラわかり、学んでいます。

量子力学とも繋がり、おもしろいです。
わかるうちに、学んでいきたい気持ちです。

仏教では、四苦八苦という言葉があります。
なんとなくこの言葉を聞いたことがある方もいると思います。

四苦は

生苦
生きることで生まれる苦しみ

老苦
老いていくことにより、心身が衰退して若い頃のように自由に軽々しく動けなくなっていく苦しみ

病苦
さまざまな病気があり、痛みや苦しみに悩まされる苦しみ

死苦
死ぬことへの恐怖。その先への不安など。

この四つの苦しみに加えてさらに、

愛別離苦
愛する人、大切な人と、いつかは死という別れがある悲しさ、苦しみ

怨憎会苦
大嫌いな受け入れたくない憎んだり恨んだりしている人に会わないといけない苦しみ

求不得苦
自分が求めるものが手に入らない苦しみ

五蘊成苦
人間の肉体と精神が思うようにならない苦しみ

これら全てを合わせて四苦八苦と言われています。生きている以上、これらの苦しみが共にあると。まずはそれを知り、受け入れること、視点を変えることで、そこには囚われなくなってきます。

有無同然は、あってもなくても同じという意味で、何かを持つから人は悩むし、誰かと出会うから人は裏切られたり、悲しい気持ちになります。

物も人も生まれたときは、裸で何も持たずに生まれてきて、死ぬときも何も持たずに死んでいきます。持っていけるのは、この世界で体験したことだけだと言われています。

それなのに、人間はあれがあれば幸せだとか、それを目指しますが、そもそもは、何もない。何も持たずして、今幸せ、このままの私で幸せだと思たならば、本当に無敵だな感じました。

お釈迦様の教えは奥深く、お釈迦様になられるまでには、かなり悩んで苦しまれて、生きている意味を探求された方だから、尊敬します。

人はなぜ死ぬのに苦しむのに悩むのに生きるのか?

それを徹底的に追求探求され、悟られました。

私も同じようなことを感じながら生きてきたから、惹かれるものがあります。

人は人に喜ばれること、自分が誰かの役に立つことで、存在価値を見出せます。また、これは徳積みにもなり、自分のエネルギーを上げることにも繋がります。
まだまだ私も学びの途中にいて、エネルギーを学んでいます。

昨日、約束のネバーランドを見ました。
最後のシーンが、人間の中にある神の部分、光を感じました。
神の光を発すると、その人の中にある神の光が共振共鳴するので、愛になります。


私たちは、日々自分の弱さや醜さなどにも触れますが、そこを見ないようにしたり受け入れていかないと変わっていけないと私は思って内観頑張っています。

成功者と言われる方は、傷が深いからこそ、人の痛みがわかり、愛情深いです。必ず片面だけではなく両面があります。
愛情深いならば、そのぶんたくさん悩んで葛藤してきたものがあります。
そこを見ないで、輝きだけは手に入れることはできないのかもしれません。

本当に日々が学びです。
でも、理想の人がいるから、考え方を真似たり取り入れていけること、自分が手放したいエネルギーに出会った時に、諦めずに変えて立ち向かっていけることは、幸せですね。
全ては自分次第ですね。
側近さんのブログにもあるように、私も日常の小さな積み重ねをしていきたいです。


小さいものも重なると強く大きくなります!!
希望に向かい、日々、let's!パラレル!です。