遥かなる冒険の旅人@朝やん先生の奇跡の復職物語

遥かなる冒険の旅人@朝やん先生の奇跡の復職物語

日常の小さな幸せの種を綴っています♪

福島県の復興も確実に進んでいます。地元のテレビ番組では連日放映されています。しかし、未曾有の原発事故、、、、傷跡は自然だけでなく、人の心にまだまだ残っています。これからまだまだ乗り越えなくてはならないことがたくさんあります。福島の未来が、この日本の進む方向性を決めるかもしれません。健康、エネルギー問題、少子高齢化問題、等、、、。どんなことがあっても、「夢」と「希望」は持ち続けたいものです。皆様には、他県の遠い話とせずに、身近な問題として考えていただければ幸いと思います。美しい福島、「うつくしまふくしま」は永遠です。



「復興への祈り&心を静め,感謝の気持ちアップ!」


愛車の【オデッセイ】の語源=【遥かなる冒険の旅】(長期旅行)
幸せになるための私なりの人生のカテゴリーを、アルファベットのAからZを使って表現してみました。



テーマ:

<「悲哀」から愛へ>

 
世界情勢が不安な昨今、、、。本当の悲しさ、哀れさを人間は体験するからこそ、本当の愛に近づいていけるのかもしれない、、、と29歳の若さで亡くなってしまった南吉は語っているようです、、、。
 
〜以下は、過去記事です〜
 

 

 

 

物語「ごんぎつね」と同じ作者の作品です。私はこちらの物語のほうが好きですね、、、。人間として何が大切かをいつも教えられています。

今、いわき市の
「草野心平記念文学館」

「新美南吉展」(光かがやく作品)

 
~9月6日まで~

 

が開催されています。ぜひ行ってみたいと思います。
主人公の「海蔵」さんが、最後に日露戦争に悔しさを残さず旅立ち、「勇ましく日露戦争の花と散ったのです。」終わるエンディングが私には心に残っています。

 今日は、「終戦記念日」。あれからもう70年です。
なぜ、戦争が起きて、どのように世界が変わったのかを、近現代史の流れを今ここで再確認することが私たち一人一人に大切なのではないでしょうか。
第二次世界大戦の後も、地球上ではまだ戦争が行われているからです、、、、。

 

<追加動画>
伝えよう日本の歩み①

伝えよう日本の歩み②
伝えよう日本の歩み③
(小学生~中学生にもなんとか理解できるアニメ)
僕たちの知らない世界~戦争

 
¥714
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新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)


明治時代

母親と二人暮らしの人力曳きの海蔵さんはみんなの為に椿の木の近くに井戸を掘ろうと考えます。
井戸は30円で掘れることが解りましたが、お金がありません。

海蔵さんはみんなに寄付を求めたり、賽銭箱を置いたりしましたがお金は集まりません。

とうとう海蔵さんは他の人をあてにしないで自分1人で井戸を掘るお金を貯めることを決心しました。

そして好きなお菓子も食べず、一生懸命お金を貯めて2年が過ぎました。
やっと30円貯めることが出来ました。



あとは地主に井戸を掘る許可をもらうだけでしたが・・・。

ここからは本文をどうぞ。
 

 



それから二年たちました。
 牛が葉をたべてしまつた椿にも、花が三つ四つ咲いたじぶんの或る日、海蔵さんは半田の町に住んでゐる地主の家へやつていきました。

 


 海蔵さんは、もう二タ月ほどまへから、たびたびこの家へ来たのでした。井戸を掘るお金はだいたいできたのですが、いざとなつて地主が、そこに井戸を掘ることをしやうちしてくれないので、何度も頼みに来たのでした。その地主といふのは、牛を椿につないだ利助さんを、さんざん叱つたあの老人だつたのです。


 海蔵さんが門をはいつたとき、家の中から、ひえつといふひどいしやつくりの音がきこえて来ました。
 たづねて見ると、一昨日から地主の老人は、しやつくりがとまらないので、すつかり体がよはつて、床についてゐるといふことでした。それで、海蔵さんはお見舞ひに枕もとまできました。
 老人は、ふとんを波うたせて、しやつくりをしてゐました。そして、海蔵さんの顔を見ると、
「いや、何度お前が頼みにきても、わしは井戸を掘らせん。しやつくりがもうあと一日つづくと、わしが死ぬさうだが、死んでもそいつは許さぬ」と、ぐわんこにいひました。


 海蔵さんは、こんな死にかかつた老人と争つてもしかたがないと思つて、しやつくりにきくおまじなひは、茶わんに箸を一本のせておいて、ひといきに水をのんでしまふことだと教へてやりました。
 門を出やうとすると、老人の息子さんが、海蔵さんのあとを追つてきて、
「うちの親父は、ぐわんこでしやうがないのですよ。そのうち、私の代になりますから、そしたら私があなたの井戸を掘ることを承知してあげませう」
といひました。
 海蔵さんは喜びました。あの様子では、もうあの老人は、あと二三日で死ぬに違ひない。さうすれば、あの息子があとをついで、井戸を掘らせてくれる、これはうまいと思ひました。

 その夜、夕飯のとき、海蔵さんは年とつたお母さんに、かう話しました。
「あのぐわんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるさうだがのオ。だが、ありや、二三日で死ぬからえゝて」


 すると、お母さんはいひました。
「お前はじぶんの仕事のことばかり考へてゐて、悪い心になつただな。人の死ぬのを待ちのぞんでゐるのは悪いことだぞや」
 海蔵さんは、とむねをつかれたやうな気がしました。お母さんのいふとほりだつたのです。



 次の朝早く、海蔵さんは、また地主の家へ出かけていきました。門をはいると、昨日より力のない、ひきつるやうなしやつくりの声が聞えて来ました。だいぶ地主の体が弱つたことがわかりました。
「あんたは、また来ましたね。親父はまだ生きてゐますよ」
と、出て来た息子さんがいひました。
「いえ、わしは、親父さんが生きておいでのうちに、ぜひおあひしたいので」と、海蔵さんはいひました。


 老人はやつれて寝てゐました。海蔵さんは枕もとに両手をついて、
「わしは、あやまりに参りました。昨日、わしはここから帰るとき、息子さんから、あなたが死ねば息子さんが井戸を許してくれるときいて、悪い心になりました。もうぢき、あなたが死ぬからいゝなどと、恐ろしいことを平気で思つてゐました。つまり、わしはじぶんの井戸のことばかり考へて、あなたの死ぬことを待ちねがふといふやうな、鬼にもひとしい心になりました。そこで、わしは、あやまりに参りました。井戸のことは、もうお願ひしません。またどこか、ほかの場所をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死なないで下さい」
と、いひました。


 老人は黙つてきいてゐました。それから長いあひだ黙つて海蔵さんの顔を見上げてゐました。

「お前さんは、感心なおひとぢや」
と、老人はやつと口を切つていひました。
「お前さんは、心のえゝおひとぢや、わしは長い生涯じぶんの慾ばかりで、ひとのことなどちつとも思はずに生きて来たが、いまはじめてお前さんのりつぱな心にうごかされた。お前さんのやうな人は、いまどき珍らしい。それぢや、あそこへ井戸を掘らしてあげよう。どんな井戸でも掘りなさい。もし掘つて水が出なかつたら、どこにでもお前さんの好きなところに掘らしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地だから。うん、さうして、井戸を掘る費用がたりなかつたら、いくらでもわしが出してあげよう。わしは明日にも死ぬかも知れんから、このことを遺言しておいてあげよう」
 海蔵さんは、思ひがけない言葉をきいて、返事のしやうもありませんでした。だが、死ぬまへに、この一人の慾ばりの老人が、よい心になつたのは、海蔵さんにもうれしいことでありました。

 
 
 しんたのむねから打ちあげられて、少しくもつた空で花火がはじけたのは、春も末に近いころの昼でした。
 村の方から行列が、しんたのむねを下りて来ました。行列の先頭には黒い服、黒と黄の帽子をかむつた兵士が一人ゐました。それが海蔵さんでありました。
 しんたのむねを下りたところに、かたがはには椿の木がありました。今花は散つて、浅緑の柔かい若葉になつてゐました。もういつぱうには、崖をすこしえぐりとつて、そこに新らしい井戸ができてゐました。

 

 


 そこまで来ると、行列がとまつてしまひました。先頭の海蔵さんがとまつたからです。学校かへりの小さい子供が二人、井戸から水を汲んで、のどをならしながら、美しい水をのんでゐました。海蔵さんは、それをにこにこしながら見てゐました。
「おれもいつぱいのんで行かうか」
 子供たちがすむと、海蔵さんはさういつて、井戸のところへ行きました。
 中をのぞくと、新しい井戸に、新しい清水がゆたかに湧いてゐました。ちやうど、そのやうに、海蔵さんの心の中にも、よろこびが湧いてゐました。


 海蔵さんは、汲んでうまさうにのみました。
「わしはもう、思ひのこすことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのオ」
と、海蔵さんは誰でも、とつつかまへていひたい気持でした。しかし、そんなことはいはないで、たゞにこにこしながら、町の方へ坂をのぼつて行きました。
 日本とロシヤが、海の向かふでたゝかひをはじめてゐました。海蔵さんは海をわたつて、そのたゝかひの中にはいつて行くのでありました。

 

 

 つひに海蔵さんは、帰つて来ませんでした。勇ましく日露戦争の花と散つたのです。しかし、海蔵さんのしのこした仕事は、いまでも生きてゐます。椿の木かげに清水はいまもこんこんと湧き、道につかれた人々は、のどをうるほして元気をとりもどし、また道をすすんで行くのであります。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 



<作品のバックボーン>

 

作品紹介

昭和17年5月19日の作とされています。南吉は、昭和16年12月に肝臓炎を悪化させ、翌1月には血尿にみまわれ、死を覚悟して、驚異的に創作を続けるなかで書かれた作品です。

 昭和4年の日記「若し余の作品が認められるなら、余は再びそこに生きることができる」の予見が実現できればという必死な気持ちがあったのでしょうか。

 海蔵さんの「わしはもう、思ひ残すことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのォ」という言葉には、南吉の生涯の想いが込められていると言えましょう。

 

 「牛をつないだ椿の木」は、南吉が亡くなって半年後(昭和18年9月)に、巽聖歌によって刊行されました。
 

<追加動画>

伝えよう日本の歩み①

伝えよう日本の歩み②
伝えよう日本の歩み③
(小学生~中学生にもなんとか理解できるアニメ)

僕たちの知らない世界~戦争


戦争の悲惨さを確実に私の心に刻み込んだ
広島、長崎へ投下された原爆、、、。

二度とこのようなことは起こってほしくありません!!

映画「はだしのゲン」より