先日に100円ショップへ行くと、
季節商品コーナーの入れかえ作業中でした。
バレンタイン?のグッズをさっさとかたづけて。
かわいいウサギとヒヨコのグッズが棚に並んでゆきます。
お次はイースターなんですね。
商品POPには「今年のイースターは3月31日です」と、
日付までごていねいに書いてありました。
しかしそこに復活の主イエス・キリストはいなかった。
キリスト復活節の要素はゼロ。
イースターが何であるかの説明はなし。
日本では、欧米の春祭りぐらいにしか思ってないんだよね……
昨年までの私は、こういう光景を見ても何とも思わなかったです。
キリスト教に関心がない日本ではそんなもんだろうと。
でも先日は、やっぱりとても寂しい気持ちになりました。
これって、漫画の原作者をないがしろにしたメディア化問題と同じじゃないかと。
イエス・キリストがいないイースター。
イエス・キリストがいないクリスマス。
宗教イベントの上辺だけを切り取って、
季節商材として消費して終わり。
私たちは神様の著作権を侵害し続けている罪人なんだなあと……
世界の原作者である神様を知らない。
聖書の内容も知らないから、聖書と違う内容の脚本でも平気。
主役のイエス・キリストを抜きにしたメディア化。
クリスマスは冬の商材イベントとして、
イースターは春の商材イベントとして定着してくれればいい。
やっぱりそんなのイヤだよね。
誰かがクリエイトした作品を扱うなら、
作者と原作品についても調べてからにするべきだと、
あらためて思わされました。
クリスマスとイースターが何であるのか。
現代日本でそれを説明すべきは商業企業や100円ショップじゃないよね。
キリスト教会の仕事というか使命だと思います。
そのために、各地域に大小のキリスト教会が建てられているのだと信じたいです。
キリスト教会で音楽祭をやりますよ、バザーをやりますよと、
地域住民が気軽に来やすいイベントをするのもいいですね。
でもせっかく教会イベントに足を運んでくれた住民がいるのに、
イベントでイエス・キリストのメッセージを語ることなく、
本当にただイベントプログラムをこなすだけで終わってる教会はないですか?
どうしてそこで救い主イエス・キリストを伝えるメッセージをしないの?
地域住民に引かれるのが怖いの?
何のために牧師はそこにるの?
牧師は教会堂の管理人をしてるだけ?
キリスト教会に行っても、イエス・キリストの話が聞けない。
福音や聖書の話が聞けない。
信徒は教会内の奉仕活動に夢中。
「わからないことは何でも聞いてくださいね」
どの牧師もそう言うでしょう。
でもそれで実際に質問をしにくる人はいますか?
キリスト教になじみがない人は、そもそも何を聞いていいのかわからない。
忙しそうな牧師さんに話しかけていいのかもわからない。
キリスト教会に来るだけでも相当な心理的ハードルがあるのに、
さらに自分から牧師をつかまえて質問しないとイエス・キリストを教えてもらえない?
キリスト教会の危機感のなさというか、
霊的なニーズへの鈍さが本当にイライラします。
あまりに取りこぼしが多すぎる。
でも信徒がそれを進言したら「人を裁いてはいけません」だしな。
今の日本政府と同じ。
今のジジババ利権を守れればいい。
どんどん若い後継者を減らして滅亡したいのだろうとしか思えない。
キリスト教会でのクリスマスやイースター。
楽しい宗教イベントにしたいなら、長時間の説教はしなくていいよ。
5分か10分程度のショートメッセージでもいい。
でもせっかくクリスマス、イースターなどの機会に、
ふだんは教会に来ない地域住民が来ているなら、
短時間のメッセージでもいいから、
救い主イエス・キリストの福音というプレゼントを持たせてあげてほしい。
どういう理由であれ、キリスト教会の建物に来てくれた人には、
どんな方法でもいいから一つは聖書の言葉を持たせてあげてほしい。
そのための聖句カードグッズとか、たくさん市販されてるじゃないですか。
たいていの教会にキリスト商品カタログ置いてあるでしょ?
キリストグッズをうまく活用すればできることたくさんあるよ。
せっかくのキリスト教会が、教会の強みをぜんぜん活かせてない。
私のような個人キリスト者のソロ活動でできないことが、
キリスト教会という組織でならできることがたくさんあるのに。
本当にもったいない、歯がゆい。
教会の建物、設備、献金、人……なんでもっと活かさないんだろう。
どうして内輪のイベントと奉仕活動だけで終われるんだろう。
アイデアがないなら広く募りなよ。
平信徒でもものを言いやすい仕組みを作るなどしなさいよ。
人手が足りない、お金が足りない……それを補う工夫をしなさいよ。
昭和時代のやり方をいい加減にやめなよ。
というか、まずそれらを主イエス・キリストの御名でお願いしなよ。
教義的に正統なキリスト者は、
この世界と私たちすべての原作者を知っていますね。
聖書の原著者と主役も知っていますね。
毛筆書道作品テイストのやつ。
めっちゃ達筆な週も、いかにも子どもが書いたほほえましい週もある。
字の上手下手はぜんぜん関係なくて。
通りすがりの人にチラッとでも聖書の言葉が伝わるのがいいですね。
どこかの誰かには、神様のメッセージとして心が開かれるかもしれない。
ローマ法王ポスターは要らんけどな(-_-;)
「みんなが見ている前で、神殿の屋上から飛び降りてみなさい。
そこで私にはわからないことがあります。
「キリスト教になじみがない日本で福音伝道するなら、
まずクリスマス・イースターの楽しいイベントから始めればいいよ。
たくさんイベント宣伝して、各種グッズ展開して、
イベントの知名度がある程度上がってから、
そのイベントの本質であるイエス・キリストを伝えればいいんじゃないかな」
↑これは正しいのでしょうか。
素直にわかりません。
実際の事実として、今の日本はそうせざるをえない感じですが。
というか、すでにこの筋書きの8割は達成されてる。
クリスマスはもちろん、近年はイースターの名前もかなり周知されてる。
スーパーのお菓子コーナーは、イースター限定商品でいっぱいです。
だからこれからは、イベントの主役であるイエス・キリストをどう伝えるかというフェーズでしょうか。
すでに宗教イベントの名前は広く知られているのだから。
後は中身と本質を告げ知らせればいいように見えます。
でも私にはよくわからない。
ヨハネ7章。
イエス様ご本人は、一人でひそかに祭りに上られた。
わざわざ人目をさけて。
でも結局はお忍びで終わらず。
イエス様は神殿の境内にのぼって、堂々と神の国を教え始める。
そこへ人々が群がってくる。
信者もアンチも寄ってくる。
この時のイエス様に、広告宣伝というお膳立てはいらなかったわけです。
イエス様がイエス様であるゆえに人が集まってくる。
だからキリスト者も教会も、特に何もしなくていいのかというと、そうでもなくて。
何もしなかった結果が、いまのキリスト業界だろうから。
土俵の外へ落ちる寸前の死に体。
助かる方法があるとすれば、外部から神様の手に支えてもらうこと。
政治家みたいに、派閥内でごちゃごちゃやってる場合じゃないのよね。
今のままでいいとはまったく思わない。
さりとて私の考え方が正しいわけでもないのだから、
私個人の想いだけで何かをするのも違う。
わからないならストップ。
やはり一時停止ですね。
楽譜でいえば長い休符。
余計なことはしない。
神様の時が満ちるまで。
神様の時は、人それぞれのはずです。
神様のご計画と導きは、一人ひとり異なるのですから。
常にみんな一緒ってことはない。
新型コロナの緊急事態宣言みたいなゲネラルパウゼ……
全世界が総休止するのはよほど稀なことでしょう。
私が一時停止でも、他の人は今いちばん繁忙期かもしれない。
そういう人はイエス様とどんどん前進すべきです。
善は急げですが、独善に急いではいけないです。
イースターを迎えるこの時期、
またあらためて復活の主イエス・キリストを見つめなおす必要を感じています。
礼拝メッセージでも、皆さんのブログ記事でも、
ここ最近はそんなメッセージばかり受け取ってしまいます。
どういう状況であっても、主イエス・キリストともに。
まず祈る。
祈りから始める。
ていねいに祈る日々を過ごしたいと思います。
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』
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■ 2024年のイースターは3月31日☆