【今回のもくじ】

・ 平成最後の百姓一揆(`・ω・´)
・ スタミナの秘密は米 ※あきたこまちに限る
・ 1918年 米騒動で、高校野球大会が中止になる
・ 商人の義務と責任
・ うまくいっている人は「悪いヤツ」という偏見
・ 人間の頑張りがすべてなのか?


■ 平成最後の百姓一揆(`・ω・´)

 

高校野球の決勝まで進んだ秋田の金足農業、すごかったですね~ヾ(*´∀`)ノ

前半で大きな点差がついて負けてしまったけれど、

ずっと一人で投げてきてたピッチャーの疲れがたまってたんだよね、仕方ない。

 

メンバー全員が地元民という公立高校が、

全国から集まった強豪選手の包囲を突破してきたのが痛快だよね。

しかも、冬季に野球練習ができないから不利といわれる東北の学校だからなおさら。

 

積雪で冬季練習ができないから不利、予算が少ないから不利、

他県から強選手を迎えることができないから不利……

 

「不利」は「無理」と同義ではない。

 

ということを証明してくれた金足農業さん、ありがとうございます。+.゚ヽ(o´∀`)ノ゚.+。

 

 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。

 神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、

 かれとこれとを等しく造られたのである。

                     

 ――旧約聖書『伝道の書/コヘレトの言葉』 7章14節

 

■ スタミナの秘密は米 ※あきたこまちに限る

 

そうですか、スタミナの秘密はあきたこまちですか。

じゃあ私も今後はあきたこまちを買うことにするよ!

 

私は正直、お米のブランドの違いがわからない味音痴だから、

その時にいちばん安いお米を買っている。

あきたこまち、ひとめぼれ、きらら397、その他。

 

私はどのお米がどうという違いは感じないから、どれでもいいやと思ってたけど、

生産農家さんにしてみれば、ぜんぜん違うのだろうね……

 

どのお米ブランドでもいいと思えるのは、

どのブランドでも当たり前に美味しくて食感が良いから。

これは農家さんの努力の賜物なんだなあ。

品質の良いお米を、いつでも良心的な価格で買えることに感謝。

 

■ 1918年 米騒動で、高校野球大会が中止になる

 

金足農業高校の決勝進出は、秋田勢にとって103年ぶりのことだそうで。

今年の甲子園は100回記念大会なのに103年ぶりって、

年数の計算が合わないのは、戦争で中止になった年があるからなんだよね。

 

と思っていたら、ちょっと違ってた。

 

たしかに戦争で中止になっているのだけれど、1918年(大正7年)の第4回大会だけは別。

1918年……奇しくもちょうど100年前の大会は、

「米騒動」による治安悪化のために中止。

これは知らんかったわ。

 

ウィキペディアで「1918年米騒動」を見てみると……

 

 米価格が高騰することにより、地主や商人は米を米穀投機へ回すようになり、

 次第に売り惜しみ買い占めが発生し始めた。

 

投機目的の買い占めと売り惜しみ……

「相場師」なる集団が、これに拍車をかけたそうだ。

 

実は旧約聖書に、これを戒める格言がいくつか載っている。

人間の悪しき本質というのか、2000年以上前の中東でも、

まったく同じことをする悪徳商人が少なくなかった証拠だと思う。

 

 施し散らして、なお富を増す人があり、
 与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。

 

 物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。

 

 穀物を、しまい込んで売らない者は民にのろわれる、
 それを売る者のこうべには祝福がある。

                          

  ――『箴言』 11章24-26節

 

穀物を売り惜しみする者は、民の呪いを買う……

暴動が起こって、穀物倉庫が打ち壊されて、すべての財を失う的なことかな。

高値で売って儲けるつもりの買い占めが、かえって破産を招くという。

 

たぶん、米騒動、百姓一揆は、紀元前の大昔から繰りかえされてきたことで。

古代ユダヤ人にとっても、珍しい出来事ではなかったのだろうね。

 

商人が大儲けをすること自体は悪ではない。

貧しい人から搾取して、富を貯めこむのが悪。

前回にも紹介したけど、富を独占すると、こういうことになりかねない。

 

 ある金持の畑が豊作であった。

 そこで彼は心の中で、

 『どうしようか、わたしの作物をしまっておく場所がないのだが』

 と思いめぐらして言った。

 

 『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、

 そこに穀物や食糧を全部しまい込もう

 そして自分の魂に言おう。

 たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさん蓄えてある。

 さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。

 

 すると神が彼に言われた。

 『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。

 そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。

 

 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである。

                            

 ――『ルカによる福音書』 12章16-21節

 

多くの富を持つ者は、それを正しく使う義務がある。

具体的には、貧者への施し、保護、社会への還元など。

フランス貴族の義務「ノブレス・オブリージュ」も同じことだと思う。

金品ではなく、無形の富(知識・知恵)をネット上でシェアするのも同じ。

 (関連記事) ハーガ・リッラー/神のものは神に返す、富の再分配

 

富も穀物も、神から与えられた恵みだという発想が根底にあるから、

神から与えられた豊かさを、自分と少数の身内のためにだけ取っておくのは、

神への反逆ということになる。

 

医薬品等、公益性の高い技術の特許申請なども、

特許使用料で暴利をとるのが目的なら、やはり神を冒涜することになるねえ……

 

■ 商人の義務と責任

 

商人のお手本は、滋賀の近江商人の「三方よし」だと思う。

今年の近江高校は、準々決勝で金足農業にサヨナラ負けしちゃったけれど……

近江商人が百姓一揆に負けたという意味ではないと思う。

 

・近江商人「三方よし」 … 売り手よし、買い手よし、世間よし

 

 売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、

 さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献

 

近江商人とはテイストが異なるが、

江戸時代の大坂の豪商淀屋も、結果的には、商業都市大阪の発展を導いている。

淀屋が私財で造った「淀屋橋」や「中之島」は、今も大阪経済の中心地で現役だ。
(橋の原型は残っていないが、同じ場所にコンクリート製の「淀屋橋」が掛けられている)。

 

淀屋がすごいのは、世界初の先物取引市場として、「米市」を実現したこと。

世界初だから、淀屋はユダヤ商人よりも上手だったわけだ。

(日ユ同祖論的には、淀屋にも古代ユダヤ人のDNAが……ということなのかも?)

 

淀屋が米市を設けた当時(1730年)のお米事情はこうだった。

 

 米の価格は仲買人によって無秩序に決められ、

 価格は米の質や量などを正しく反映したものではなかった

 

 そこで淀屋は、米の質・量・価格の混乱を収めるため

 全国の米相場の基準となる米市の設立を幕府に願い出て認められる事となった。

 

淀屋が考案した「米市」は、お米の価格を安定させるための取引所だから、

淀屋の利益になるだけでなく、米農家も、庶民の家計にも大助かり。

仲買人の不正も大幅に減らせたのだろうと思う。

 

米の質・量・価格の基準を定めるという「米市」の発想は、旧約聖書の律法にも合致する。

 

 あなたは袋に、大小二つの重りをいれておいてはならない。

 あなたの家に、大小二つの升を置いてはならない。

 

 あなたがまったく正確な重りと正確な升を使うならば、

 あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができるが、

 このようなことをし、不正を行う者をすべて、

 あなたの神、主は厭われる。        

 

 ――『申命記』 25章13-16節

 

淀屋ほどの才覚があれば、無秩序に乗じて暴利をむさぼることも可能だっただろうに、

そうはしなかったのが賢いよね。

大衆の恨みを買ってまで蓄財すると、米騒動やら一揆やらですべてを失う。

財貨を公共事業に投資して、貯金を減らすことで、かえって大きなリターンを得られる。

しかも後世にまでその名誉が語り継がれる。

 

1918年の米騒動で、高校野球大会の会場だった鳴尾球場(甲子園の近く)の近所では、

米商店が焼打ちに遭うという暴動が起こり、それで高校野球は中止になった。

しかしその経緯を見ると……

 

 8月12日には鈴木商店が、大阪朝日新聞により

 米の買い占めを行っている悪徳業者である(米一石一円の手数料をとっている)

 との捏造記事を書かれたことにより焼き打ちに遭った。

 

捏造記事の発信は、朝日新聞社のお家芸だったもよう。

誤報で焼き打ちされた鈴木商店さん、かわいそう……

 

ってか、高校野球の主催も朝日新聞社だし。

捏造記事を蒔いた結果が、野球大会中止という収穫につながったということなのか。

スクープ記事という一時の名誉を求めた結果、

不名誉な事実が後世にまで伝えられるという大損失になっているわけだね。

 

■ うまくいっている人は「悪いヤツ」という偏見

 

淀屋は5代目で散財して没落したみたいだけど、

大富豪ゆえにお上から嫉妬されてたという事情もあるみたいね。

淀屋が各地の大名に貸し付けていた総額は、

ふくれあがった利子も含めると約100兆円になるとか……

 

中世欧州のユダヤ人も、同じ理由でキリスト教徒から迫害されてたね。

ユダヤ人迫害の大義名分は、「キリストを十字架にかけて殺した罪人だから」。

 

そのため、ユダヤ人はほとんどの職業に就くことが禁止され、

唯一の許された職業が、キリスト教徒から忌み嫌われた金融関連業。

しかし仕方なく手掛けた金融業で、ユダヤ人は天来の商才を発揮しすぎて、

大きな富を築く者が多く現れた。

それに嫉妬した清く正しいキリスト教徒が、

ユダヤ人を国外追放したり、ゲットー(収容所)に強制移住させたりしたという。

 

ちなみに、ネズミが媒介するペストが猛威をふるった時代にも、

ゲットー内のペスト感染はとても少なかったそうだ。

理由は、ユダヤ人には「入浴」の習慣があったから。

 

日本の神道との共通点でもある、「水と塩による清め」を大事にしたユダヤ人は、

これまた日本人と同じく、身体を水で洗うことを好んだそうだ。

魂が清く正しくお風呂に入らないキリスト教徒はペストでたおれ、

身体を清潔に保っていたユダヤ人は、ペストの罹患率が低かったという皮肉。

 

当時のキリスト教徒は、ユダヤ人罹患率が低い理由をこう考えたらしい。

「ユダヤ人はペストをばらまいている真犯人だ。

 だからユダヤ人はほとんどペストにかからないのだ」

 

滑稽なことに、これと似たような話が、新約聖書にもある。

「ベルゼブル論争」と呼ばれる個所で、

悪霊を追い出したイエスに嫉妬した宗教エリートが、イエスに難癖をつける。

 

 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、

 イエスのところに連れられて来た。

 イエスが癒すと、ものが言え、目が見えるようになった。

 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。

 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、

 「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、

 この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。

 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。

 

 「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、

 どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。
 

 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。

 そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。

 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、

 あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。

 だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、

 神の国はあなたたちのところに来ているのだ。 」

                    

 ――新約聖書 『マタイによる福音書』 12章22-28節

 
「イエスの悪魔祓い成功率が100%なのは、
 イエスが悪魔の大将ベルゼブルと結託してるからだ、自作自演だ」
とユダヤ宗教エリートは主張したが、もちろんそんなわけがない。
 
ユダヤ人がペスト菌をばらまいたのではないのと同様に、
イエスが悪霊をばらまいたわけではない。
それをイエスは皮肉で返している。
 

 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。

 そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。

 

もしイエスがサタンと結託して、悪霊払いを成功させているのであれば、

それはサタン帝国内の内輪もめということになる。

それではサタン帝国は存続しないではないかというロジック。

 

 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、

 あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。

 だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

 

ユダヤ宗教エリートも、何らかの悪霊払いを行っていたようだ。

成功率は不明。

 

もしイエスの悪霊払いが、ベルゼブルの力によるものならば、

宗教エリートの悪霊払いもまた、ベルゼブルの力によるということになる。

 

宗教エリートがイエスをやりこめるつもりで持ち出したロジックは、

彼らの悪霊払いの源を暴露するブーメランでしかなかった。

同様に、ペスト流行をユダヤ人のせいにしたキリスト教徒も、

自分たちの無知と不潔と不衛生な慣習をみずから暴露していたにすぎない。

          (参考) 生けるカガミ(鏡・神我見)としてのイエス … エゴの悪意を反射するカガミ

 

■ 人間の頑張りがすべてなのか?

 

 

愛媛の済美高校は、ミラクルな逆転で勝ち上がってたね。

それで済美の校歌が話題になったみたいだけど……

 

 ♪ 「やれば出来る」は魔法の合いことば

 

最後まであきらめない、やれるだけのことをやる、というのは大事やね。

 

でも私は、「やれば出来る」という言葉は正直あんまり好きではない。

現実には、どれだけやっても出来ないことはたくさんあるから。

 

スポーツの試合みたいに、人間の努力次第でどうにかなる可能性のある事は、

「やれば出来る」でいいと思う。

 

でも、人間には「やっても出来ない」「そもそも出来ようがない」「出来なくてもいい」

という分野がたくさんあることも覚えておきたいと思う。

 

「やれば出来る」という信念が強すぎると、何かが出来なかった時に、

出来なかった犯人捜しを始めてしまうんだよね。

「出来ない」という事実に罪悪感を覚えてしまい、その罪悪感を打ち消すために、

他責癖のある人はとにかく他者を責めるし、

自責癖のある人は際限なく自分を責めてしまう。

 

やれるだけのことをやったのに出来なかった人……望ましい結果を出せなかった人は、

「努力が足りない怠け者」として責められ、怒られるんだ。

あるいは「波動が悪い」「日ごろの行いが悪い」「心が弱い」ということにされてしまう。

 

済美が準決勝で敗退した時、なんだかホッとしてしまった……

もし済美が優勝してしまったら、

「やれば出来る」という言葉がさらに流行ってしまうんじゃないかと心配だったから。

 

その点、金足農業の校歌は安心して聴ける。

 

 ♪ 農はこれ たぐいなき愛
   日輪の たぐいなき愛
   おおげにや この愛 
   いざや いざ 共にうけて

 

農業はじめ、自然を相手にする仕事は、

人間の努力と根性と頑張りだけではどうにもならないという前提がある。

人間の努力で天候は変えられず、植物を成長させることもできず。

 

農業、畜産業、林業、漁業……命ある自然を相手とする第一次産業は、

自然界の愛を受けとることでしか成立しないんだよね。

人間はそのお手入れができるだけ。

 

 わたしは植え、アポロは水を注いだ。

 しかし、成長させてくださったのは神です。

                     

 ――新約聖書 『コリントの信徒への第一の手紙』 3章6節


「自然は惜しみなく与える」という。

投機目的で穀物を買い占めるというのは、大衆を苦しめるだけでなく、

自然からの愛の産物を踏みにじる行為でもあるわけだ。

 

私は第一次産業にたずさわったことはないけど、

日々の食糧は、第一次産業界から得ている。

人はだれも、自然の恵みを受けとることでしか、命を保てないんだよね。

 

人間レベルの安っぽい情愛は、有害な添加物まみれだから、受取拒否する。
でも、自然からの愛には、もっと敏感になって、感謝して受けとれるようになりたいと思う。
 
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私もこれからは全力で歌おう(^^♪
……まずは背筋を鍛えるところからかな(笑)
そこは「やれば出来る」ということで( ̄∀ ̄)
 
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
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