とりいあさかstoryもゴールがみえてきました!
いつもお読みいただきありがとうございます♡
第1話~第8話まではこちらから↓↓↓
前回はこだわりの強い次女との闘いを
お伝えしました。
この甚平じゃないと泣き喚いて服着なかった時👆
もっとエピソードはあるのですが
15話くらいになってしまうので笑
こだわりの強い子ママの参考になるよう
また、少しづつ別記事で
お伝えしていきたいと思います
本日は
3人が保育園時代
総合病院の手術室に配属され
イライラガミガミ教育ママへ変貌する
様をお伝えしていきたいと思います!
次女の1年間のろう学校が終わり
再就職した私
以前勤めていた総合病院で
お世話になることができました。
顔見知りのスタッフばかりだし
大丈夫かなー
なんて思っていたら
配属先はなんと未経験の
手術室!!!!
ゆっくり覚えればいいからね~
なんて言われたのもつかの間
顔見知りがあだとなり
「できるよね!」
「大丈夫!大丈夫!」
なんていわれて
どんどん一人立ちして
いきました
大病院ではなかったものの
手術室はいろいろな科の
患者様と接するため
知識も技術も広範囲のことを
一気に覚えないといけませんでした
しかも1日に1件ではないので
その日担当するものだけでも
相当量叩き込んでいかないといけない
30歳を超えた脳みそは
パンク寸前
いや、もうパンクしてたな
3時4時に起きて
その日の手術の勉強して
朝なのに夕飯準備して
洗濯や子供たちの準備
7:30の保育園開園と同時に
送り出す
そんな毎日だったので
「はやくしてよ!!」
「何やってるの!!!」
「ちゃんとやってよ!!」
「一人でやって!!!」
「何でママばっかりこんな目に
あわないといけなの?!」
「ママだって忙しんだから!!」
こんな言葉ばかり浴びせていました
働いてるから子供がしっかりしていない
働いているからしつけがなってない
働いているからかわいそう
こんな風に思われたくないと
必死に子供たちを厳しくしつけていました
そして
突き放すことが自立にも
つながるんだと
勘違いていたんですよね
育児書・教育本もたくさん読みあさっては
試してうまくいかないの繰り返し
なんで一生懸命やってるのに
うまくいかないの??
そんな気持ちでいっぱいでした
唯一の楽しかった思い出は
毎晩3にんがそれぞれ選んだ絵本を
一人ずつ膝にのせて読んだこと
この時以外は笑顔で過ごした
記憶がありません
今、小児科で園児くらいの子たちを見ると
こんなに個性あふれてかわいい時代に
笑顔が思い出せないんて
申し訳なさと後悔で
胸がいっぱいになります
こんな生活が続くわけもなく
私の心身も子供も家庭も壊れる
そう感じた私は総合病院を退職し
小児科クリニックでパートとして
働くことにしました
仕事の負荷も減った
子供たちも小学生となり
だいぶ手がかからなくなった
なのに私の
イライラガミガミ教育ママっぷりは
変わりませんでした
その結果どうなったのか、、、
長女が爆発しました
この続きは最終話へ☺︎
今日もお読み頂きありがとうございました♡