私が泣かないと決めた日 | 人生私らしく  モラハラ夫と離婚。再婚して幸せの道へ

人生私らしく  モラハラ夫と離婚。再婚して幸せの道へ

最初の夫からのモラハラ、DV、洗脳。
18年続いた辛さと悲しみと孤独の人生。
やっと離婚を決意した時に起こった辛い現実。

どのように困難から脱却したのか。
ブログに記すことで皆さんの幸せへのきっかけになれたらという
思いも込めてブログを書いていきます。


ご訪問ありがとうございます。

最初の結婚で夫からモラハラを受け
ガン闘病、突然の母の死等々を経て離婚。

現在は再婚して娘3人孫ひとり。

再婚してからの
過去の事や現在の事を綴っています★





我が家に帰りまず娘を抱きしめる。

震えながら泣く三女。


どうしたらいいやろ…どうしたら…ママ。


大丈夫!治るから大丈夫!



落ち着いた三女から詳細を聞く。


血液のがんだと。



今通院している病院では専門の科が無く、

転院するしかないと。


実は転院先の病院は耳鼻咽喉科で紹介された

うちのひとつだった。

コロナ禍真っ最中の時で、コロナを扱っている

病院だから、敢えて避けた病院。


最初からそちらの病院を選択していたら。

の考えがよぎる。


もっと早くに切って

組織を検査してくれていたら。


たらればを考えても仕方ないのは

わかっているけれど、

様々な事を考えてしまう。



担当医が詳細を説明するとの事で娘と病院へ。


当初はリンパ炎だと診断した。

切って組織を検査しないとわからない事だった。

などと、こちらにしたら言い訳にしか

とれない内容を話す医師。


この人達に何を言っても仕方がない。

前に進まなければ。

今までの礼を言って話を終えた。



転院先の病院にも一緒に付き添った。

専門外来の医師が、

サクサクと検査の日時を決めていく。


入院の日もその日に決まった。



後日、ペット検査の画像を見て驚愕した。

いたるところが真っ黒…


担当医が言った。

これをね、全部消していきますからね。


治療方針は、抗がん剤での治療

それで改善されなければ骨髄移植。



担当医とふたりだけになった時に、

私の患者さんで若いシングルマザーがいる。

お子さんはまだ小さくてね。

その方今、元気にお仕事されてますよ。

若いからね。お嬢さんも。

若いって事は素晴らしい。

そう話してくれた。



絶対に治ります、治しますとは

言えない立場の医師。

立場の中で言える最大のエールをくれた担当医。

この先生で良かったと、心から思った。




暫く働けなくなるからと、

入院のギリギリまで仕事をすると決めた娘。


日に日に痩せてくる。



関東に住むふたりの姉達も帰って来て、

大丈夫大丈夫!絶対に治る!

家族全員で一丸となって三女を応援する。

皆んなの力で絶対に治ると確信していた。



そして入院。

抗がん剤24時間投与の治療が始まった。






娘に病名を聞かされた時の動揺は忘れません。

まだ幼い子どもがいる。

この子を置いていかせるわけにはいかない。


仕事も辞めて、

ありったけの念を娘に注ぎつづけました。



病名を聞いた日、

夫の前で、私は号泣しました。

代われるものなら代わってやりたいと。


大丈夫大丈夫と言って

いつまでも私を泣かせてくれました。


お金の事は気にしないでいいから。

俺がなんとかする。

君は彼女と、子供の事だけ考えて。

そう言ってくれた夫には感謝しかありません。




その日から私は泣く事を封印しました。

娘が治るまでは泣かないと…




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アメトピに掲載して頂きました!

ありがとうございましたニコニコ





いつかの空




数年前の出来事の話です。



今回もご覧頂きありがとうございました。