Don't Worry Be Happy!! -29ページ目

Don't Worry Be Happy!!

神戸に住み、働く女子の日々のつれづれ

「おばあちゃんになりますよ」


って言われた・・・。

笑。

「寝てばかりいたら牛になる」と子どものときに親に言われたけど、

「寝てばかりいたらボケるよ」と学生のときよく友達に言われたけど、

「おばあちゃんになりますよ」は初めてだった・・・。苦笑。


でも、良く考えたら、「寝てばかりいたら・・・・云々」は昔からずっと言われ続けてるんだな、わたし・・・。

何かこんなこと書いてたら、寝てばかりいる人みたいだ・・・。

そ~いうときもあるんだけどね。

違うときもありますよ~。起きてばかりのときもあるんだよ~。念のため。笑。

あと、予定があれば、ちゃんと起きます。これも念のため。笑。

「しつこい!」という声が聞こえてきそうだけど、よしもとばなな。

何か今日、ふっと、とあるシーンが頭をよぎって、「あ、そういうことか」と思ったことがある。

ずっと昔の吉本ばななの頃の代表作『キッチン』の一節。わたしはこの小説にホントにその時々でどれくらいの発見をもらったか分からないくらいで、今でもまだ新しく理解できることがあったりして、すばらしいと思う。

今日頭をよぎったシーンはこれ。


「田辺の彼女は一年間つきあっても田辺のことがさっぱりわかんなくていやになったんだって。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。

私は、雄一に恋していないので、よく分かる。彼にとっての万年筆と彼女にとってと、全然質や重みがちがったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかもしれない。そこが、とっても悲しい。恋さえしていなければ、わかることなのだ。」


愛情や、大事に思う気持ちをどこでどんな風に表現するかなんて、ホントに人それぞれで、カタチにはめることなんてできない。世間で“普通”と思われている方法がみんなに当てはまるなんて限らない。

カタチを求めて、例えば好きになった人がそのカタチを具現化してくれないからといって嫌いになったりできるものかといえば、わたしはできないと思う。

もし、カタチが違っていたら、その違いを認めて“受け入れる”。それでいいじゃないかと思う。

人それぞれのやり方や生き方なんて、わずかな時間で全部知ることなんて不可能だし、一生かけたって知り尽くせないものなんじゃないかな。でも、だからこそひとつずつ見つけてひとつずつ理解しながら受け入れながら歩んでいく時間や道のりが面白くて意味のあるものなんだと思う。

“全部分かり合える”なんて幻想だと思う。でも、“分かり合いたい”と思って積み重ねる人間関係には意味があると思うし、そうやって生きていきたいとも思う。

以前友人が言っていて、最近も「読んでみて!」と別の友人に薦められたので読んでみた。単純に話として面白いし、広告のマーケティングとかを絡めた話なので仕事の目で見ても結構楽しめた。でも、話としてとってもリアルで、うなずけるところとかがいっぱいあって、思わず笑ってしまったり。最近読んだ本のなかでは一番笑えた。

「できる女」でも「できた女」でもなく、中途半端な「できない女」にどんぴしゃで当てはまる自分に苦笑いしながらも、わたしはごく普通にこの本の主人公である「できない女」が迎えた結末を「最高にしあわせじゃないか!」と思った時点で「できない女」に自然とカテゴライズされました。笑。

何かさ~、「勝ち組」とか「負け組」とかあって世間は勝手に決め付けちゃってくれるけど、そんなのはどっちでもよくって、わたしは「しあわせ組」でありたいなぁ~と思ったりします。結婚したから勝ち、とか子ども産んだから勝ち、じゃなくって“しあわせ”って感じられることがいっぱいある人生であれたらいいな~と思う☆

よく、「面白いことしよう!」とか、間逆に「面白いことがない!」とかのたまうわたし。そしてそんな言葉は日常茶飯事で周りを飛び交ったりする。でもさ~、一体“面白いこと”って何??? とたまに思ったりするわけです。人は一体何を面白いと思うのか? ・・・まぁ、それは人それぞれもちろん違うし、何に関して面白いことなのか、っていうことにもよるんだと思うんだけど。

今日、その“面白いこと”に関して1つの見解を聞いた。それは


「僕にとって面白いことっていうのは、やったことないことです」


!!!

なるほど、と思った。やったことのないことって、未知な分だけ怖いこともあったりするけど、ワクワクするもんな~。その人曰く、「やったことのないことを『なになに?』ってやっていくのが面白い」んだと。

それと同時に、そうやって自分にとっての面白いことをきちんと明確に定義できることが羨ましくもあったり。わたしにとって面白いことって、ひとことで言うと何だろな?

よしもとばななの「海のふた」を読む。最近再びわたしのなかで熱いこの作家。合うものと合わないものがあるんだけど(読んだときの自分の気分によって変わってくる)、今日読んだコレは何かバシバシ染みてきた。

そのなかでも特に「あっ!」と思った部分が↓


「どうして男の人って、どんどん深くて暗いものを求めていくんだろうね。」

「男の人はどんどん暗くて淋しいほうへ行って、女の人は毎日の中で小さい光を作るものなのかなあって。」

「きっと男の人は帰るところがあるからそんな思い切ったことができるのかな。お母さんとか奥さんとか・・・・・・そういう命綱があるから、どこまでも探求できるんじゃないのかな? 」

「だから、命綱は、なるべくしっかりしていて暗すぎず、大地に根をはっているほうがいいんだろうね。」


随分はしょってはいるんだけど、これを読んだときに何となく納得、というか・・・うまくその感覚が表現できないんだけど。

最近、「女」ということについてよく考えます。何かず~っと子どもの頃から、わたしは女の子であることが苦手で、“スカートよりはパンツ”、“かわいいよりカッコイイ”、“ピンクではなくてブルー”を選ぶ子どもだったし、ことさら「自分が女である」ということを意識せずに大人になったんだと思うんだけど、大人になってからは「女であることを楽しめばいいじゃん!」と考え方が柔軟になり、今や真逆の今日この頃(笑)。

でも、最近はそういう外見的なこととかではなく、性質として「女」であって、男の人とは根本的に絶対的に物の見方や考え方で違う部分があるんだ、ということをものすごく感じる。

で、それを言い得て妙というか、うまく言葉にしてくれた感じがしたのがさっきの部分だった。そして違うからこそ、女のわたしが男の人のためにできることがある、ということまでをホントにうまく・・・さすが作家だよな~。


男の人の命綱になれるような、しっかり大地に根をはった女になりたいと思います。