「しつこい!」という声が聞こえてきそうだけど、よしもとばなな。
何か今日、ふっと、とあるシーンが頭をよぎって、「あ、そういうことか」と思ったことがある。
ずっと昔の吉本ばななの頃の代表作『キッチン』の一節。わたしはこの小説にホントにその時々でどれくらいの発見をもらったか分からないくらいで、今でもまだ新しく理解できることがあったりして、すばらしいと思う。
今日頭をよぎったシーンはこれ。
「田辺の彼女は一年間つきあっても田辺のことがさっぱりわかんなくていやになったんだって。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。
私は、雄一に恋していないので、よく分かる。彼にとっての万年筆と彼女にとってと、全然質や重みがちがったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかもしれない。そこが、とっても悲しい。恋さえしていなければ、わかることなのだ。」
愛情や、大事に思う気持ちをどこでどんな風に表現するかなんて、ホントに人それぞれで、カタチにはめることなんてできない。世間で“普通”と思われている方法がみんなに当てはまるなんて限らない。
カタチを求めて、例えば好きになった人がそのカタチを具現化してくれないからといって嫌いになったりできるものかといえば、わたしはできないと思う。
もし、カタチが違っていたら、その違いを認めて“受け入れる”。それでいいじゃないかと思う。
人それぞれのやり方や生き方なんて、わずかな時間で全部知ることなんて不可能だし、一生かけたって知り尽くせないものなんじゃないかな。でも、だからこそひとつずつ見つけてひとつずつ理解しながら受け入れながら歩んでいく時間や道のりが面白くて意味のあるものなんだと思う。
“全部分かり合える”なんて幻想だと思う。でも、“分かり合いたい”と思って積み重ねる人間関係には意味があると思うし、そうやって生きていきたいとも思う。