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ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)

おそらく多くの人は施設の種別なんてものは分からない。ハッキリ言えばケアマネの私ですら「何だ、こりゃ?」と思うものも多くある。

 

一般の方が思う老人ホームとは、特別養護老人ホームは安くて、高級なのは有料老人ホーム、くらいなものだろうと思う。それで特別養護老人ホームに入れば費用は大体月20万円くらいで、有料老人ホームに入ろうものならいくらかかるかわかるもんじゃない、位なレベルだろうと思う。

 

しかし介護には施設サービスと在宅サービスがあり、こういう解釈なら施設、こういう解釈なら在宅といった具合に様々な形態が存在する。それでどういう特徴化と言われても、こちらでも分からないことはいくらでもある。

 

(2)利用者の囲い込み問題

住宅型有料老人ホームというと、箱モノがあって、そこに高齢者を住まわせ、生活支援を行う。実際の介護サービスは外部の在宅サービスが行うというものと思う。

 

ここで問題になっているのがホームに併設された在宅サービス事業所があった場合、そのホームに入っている人はそのサービス事業所を使わなくてはならないという「囲い込み」が行われているという事だ。

 

おそらく何を言っているか「?」の人も多いだろうから、簡単に解説する。

 

簡単に言うと、在宅サービスというのは複数の事業者から選択すべき、というものがある。ここの住宅型老人ホームは「住宅」であり「家」なのだから、その併設の介護サービス以外にも事業者の選択があるべき、という事。

 

しかし利用者の側から考えても、敷地内や近隣にある併設されたサービスと言っても、要はそのホームの職員という認識であろう。逆によそから全く知らない人が来るより、勝手の分かっている人に来てもらった方が良い。

 

ついでに言えば、こうした併設のサービス事業所が同一敷地内にある場合の介護サービスは他のサービス事業所に比べて安くなる。

 

つまり利用者にすれば何かあればすぐに来てくれるわ、費用は安いわでいう事無し、なのだが行政はそれを問題にしているという訳の分からない議論になるのだ。

 

(3)何でも締め付けりゃいいってもんじゃない

こうした住宅型有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅などのは、高齢者に貸し出すマンションやアパートが無いという住宅事情から来ている。だから在宅サービスは別に作る。そしてメリットと言えば、夜勤が必ずしも必要でないという事であったりという事だろう。

 

それぞれの施設にはそれぞれの特徴があって、それぞれの良さもある。超高齢社会において、ビジネスチャンスをもとめて様々なビジネスモデルが出てくる。

 

確かに基準は必要だが、根本問題に手を付けないままテコ入れしてもダメだろう。介護保険は「走りながら考える」と言われていて、遠い将来素晴らしい制度になるかもしれ名が、そこに行くまでにどれだけの高齢者や介護職員が犠牲になるのだろうと思う。

 

(1)ケアマネのやりがいについて

ケアマネの仕事はやりがいがある。これは多くのケアマネが感じていることだと思う。では、なぜこれだけケアマネを含め介護の仕事が避けられるのかということである。

 

一般的に言われるのは「待遇の悪さ」

給料が安いというのは勿論、なかなか理解しづらい高齢者、モンスタークレーマーのような家族との関係、休みもろくに取れない労働環境、不規則勤務、挙げればキリがない。

 

今はどこも人手不足で、しかも働き方改革とかで働きやすい環境を構築する会社が増えていると聞く。逆に私が就職する頃は氷河期時代。社畜という言葉の通り、自分の労働の権利を主張する事すら憚られるような環境だった。

 

では介護の現場が、働きやすいかと言えば全く無い。

しかし行政がそんなことを言えるわけもない。連中の本音は安い労働力で、キツイ仕事をやらせる人材をいかに確保するかという事。アンケートなどでもその待遇改善の希望は10年以上出されているが、根本的に解決は出来ていないしする気も無い。その為に「やりがい」などという綺麗事を並べて、こういう業界に誘おうとするのは詐欺行為と言われてもしょうがないだろう。

 

(2)福祉の仕事のやりがい、そしてそれが・・・

私は大学を卒業してから社会人の大体を福祉の仕事に従事してきた。そこでいつも思うのは、「この仕事はやりがいはあるが達成感は無い」という事である。

 

営利企業であれば、いくら売り上げでボーナスがいくら出て、とか結果を出す事が求められる。つまりは「頑張れば自分に返ってくる」という事が明確であり、つまりは自分の為に仕事をしているのである。

 

しかし福祉の仕事というのはそれが無い。

ケアマネで言えば、利用者の要介護度が軽くなったから介護報酬が上がるわけでも無い。様々調整して家族の負担を軽くしたからと言って、ボーナスが出るわけでは無い。

 

それを「利用者や家族から感謝される」という実利の無いものでやりがいを語り、そこに賛同できるのは余程余裕のある人なんだろうと思うのだ。

 

つまり福祉の仕事こそ余裕のある人が慈善事業で行うものであり、営利と絡めるには余程の環境整備が必要なのだと思う。

 

(3)現場にできる事、それは膿を明らかにすること

国民の調査で、約6割の人が「生活に余裕が無い」と答えているという。しかも税金は上がる一方で国民負担率は50%に迫ろうとしている。

 

生きるのに余裕などあるわけがない。

 

自分が生きるのに精一杯な人が、人を助けようなんて思わないでしょう?

 

福祉が充実するというのは、余裕のある人が沢山いて、そうした福祉にもたくさんお金が使える環境だ。そうすれば人不足も無く、困難ケースも複数人で当たれる。それであればこの仕事を選ぶ人も出て来るかもしれない。

 

しかしいま行政が行っているのは全く余裕が無い状態で、何を言っているのか分からない「質」を錦の御旗にして現場に面倒なことを押し付ける。今はまだ現場が踏ん張っているから何とかなっているが、今働いている人が引退したら、後に続く人はいなくなる。

 

さらに行政はそんな現場についても締め付けはどんどん厳しくなる。人員基準の厳格化、ちょっとしたミスで介護報酬返還なんていうのは当たり前になる。

 

そりゃ、やる人もいなくなるよね。

 

(4)若い人は騙されない

我々現場の人間が出来ることは、こうした膿を明らかにすることだ。

 

今の若い人の情報収集能力は高い。いくらこんな「ケアマネの魅力」なんてものを出したところで引っかかる人はまずいない。それに親世代も「介護の仕事はやめておけ」というのが常識だ。

記事にもあるが「ブラック企業の勧誘か」というのはその通りで、ホワイトな会社ならそんなアピールをしなくても人は集まる。

 

私も「介護の仕事ってどうですか?」と聞かれれば「やめておけ」と即答する。

 

介護の仕事をしてやりがいを感じ、この仕事を選んで良かったと言える人は、余程余裕があるとか、生活が質素で構わないという奇特な人、もしくは「介護しか仕事が無い」というどの仕事でも通用しない「使えない奴」しかいないだろうと思う。

 

それがこの国が進めてきた福祉政策なのだ。

貧困というのはかくも恐ろしい。

 

(1)還暦が見えてきた。

私は現在55歳。この位の年齢になると、60歳以降の人生を考える年なのだろうと思う。会社勤めしている人は、人によっては独立し、ある人は退職までしがみつき、又ある人はリストラにあって途方に暮れる・・・そんな悲喜こもごもが見え始める世代になるのだろうと思う。

 

私の場合は自営業であるから、やる気になればいつまでも仕事を続けることは出来る。しかし今の居宅介護支援事業という介護の仕事は、来年度末までに新たな資格を取らなくてはならず、その手間などを考えればそこまでの意欲も無く、どこかに潜り込んで介護の仕事を続けるか、あるいはまったく引退するかという二択に迫られている。

 

もしかしたら今のままでも続けられるような改正が行われるかもしれない。そうなれば今まで通りという事になるが、仕事のペースはこれまで程度で、ある程度自分の時間を持てるようにしたいと思う。

 

(2)引きこもりの悪い所は

それでも仕事を全く辞めてしまうと時間を持て余してしょうがないだろうと思う。

 

最初の数日は良いだろうし、もしかしたら旅行などに行って骨休みをするかもしれない。しかし気候が良い時なら良いが、そうでない時は家に引きこもるような気もする。

 

個人的にも人に会わず、家に一人でいることは嫌いではない。一日誰とも話さなくたって、何とも思わない。

ただし、人と接する事が減って悪いことと言えば、人のちょっとした言動や行動が気になるという事。逆に言えば、ある程度の人と接する絶対数がいると、細かいところまで構っていられないので言わなくても良い事は言わない。それが絶対数が少なくなると、ちょっとしたことでも気に障る事もあるのだ。

 

なので、そうした自分の心持ちと顔を合わせながらの人生という事になる。そうするとやはり誰かと接していた方が気持ち的にもおおらかになって良いのかもしれない。

 

(3)何をしたいという事も無い

それで実際に仕事を引退して、何もないという状態を考えてみると、特にあれがしたいこれがしたいというものも見当たらない。それはそれでそういう人生なのだと言ってしまえばそれで終わりだが、世の中で起こる大抵の事は生き死にに関わる事でなければどうでも良いことが多いと思う。

 

だから何をしたとか何をしなかったとか考えるかもしれないが、振り返ればどうでも良いことのように思えるだろうと思う。それは振り返ってもしょうがないし、事を起こそうとする勇気も無いから、人生なんてそんなもんだよね、で片づけるのが一番良い。

 

だからおそらく時の流れのままに生きていくことになるだろうと思う。やらなければならないものがあればするが、何もせず時間が過ぎるのを待つだけというならそれでも良い。

 

波間に浮かぶボールが浮いたり沈んだりするように、自然に身を任せて生きていきたいと思う。