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ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)故田中角栄総理の名演説

政治について関心を持ったのは30歳を過ぎてからだったと思う。今の介護事業所を立ち上げて、状況が良くならない時、とある機関紙に介護保険の問題がまとまってあり、それをきっかけに議員とも話をするようになった。

 

確かに学校でも児童会や生徒会というものがあり、実際に立候補したこともあったが、「学校をよくしよう」みたいな意思は全くなく、周りに押された形だけだった。

 

もし、その時に政治に関心があり、学校にも言いたいことがあるような状況であれば、もっと積極的に取り組んでいたかもしれないと今になって思う。

 

(2)昭和の頃

この演説は昭和47年との事。

思えば戦争が終わってまだ20年ちょっとしか経っていない時期である。今でも20年前の記憶というのはあるが、戦争という極限状態は深く心に刻まれている事だろうと思う。

 

この頃は勿論、介護なんて言う言葉すらなく、高齢者は自宅で家族が面倒を見るという時代である。状況から見れば三世代同居が当たり前で、介護は主に長男の嫁が担っていた時代だ。

 

しかし経済的な発展、欧米との経済戦争、核家族化、都市化という事が徐々に表れてきた時代なのだろう。

 

だからこそ今までの家族に頼る介護の限界が来ることを見越し、理想的な社会保障の制度の必要性を説いている。これは介護を親族に頼るのではなく、地域で面倒を見るという理念のゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略)である。故田中総理は30年先の日本の福祉の姿を見据えていたのではないだろうか。

 

そして故田中総理が自分の言葉で高齢者に対する感謝の気持ちを素直な言葉で語っている。これは高齢者福祉の原点であり、介護職員全員が心にとどめておく原則だ。

しかしこれは歴史を知らないと難しい。この話は戦争の記憶、戦後の混乱期を生き抜いた苦労を国民すべてが知っている時期だからこそ刺さる話なのだろう。

 

(3)支える側が豊かであるからこその福祉

この頃は戦後復興から高度経済成長期という上り坂を一気に登り、国民が豊かになったと実感する時代だったからこそ、高齢者に対する思いを振り返り、感謝の気持ちを言うことが出来たのだろう。

 

それに対して今は「一億総貧乏時代」である。多くの人がその日一日をどう乗り切ろうか、そんなことを考える時代である。ある意味、戦後直後の状態と言ってもいいくらいの精神的な状態だ。

勿論、物質的には恵まれている。しかし恵まれた環境に慣れてしまえば、それを捨ててまで節約することが出来るかと言えばNOである。

 

それに個人でいくら節約しても税金は上がる一方だ。減税の話は必死に抵抗するが、増税の話はいとも簡単に通る。国民負担率が当時の20%台に対し、今は50%に迫ろうとしている。しかも給料はほぼ変わらない。給料20万円の人は当時に比べて否応なく6万円ほど可処分所得が減っているのだ。

 

福祉というのは支える側がある程度豊かじゃないと成り立たない。支える側が貧しいのに、人の事など構っていられないというのは当たり前なのだ。

 

そういう今の時代に「今まで苦労してこの国を支えてきた高齢者、あなたたちを苦労して育てた親たちに、今までありがとうございましたという気持ちで、現役世代が高齢者を支えましょう」と言ったところで支持されるだろうか。現役世代からは「また増税するのか」と反発を買い、高齢者は自分の受ける利益は自分の貯金から払うべきで、我々現役世代に負担させるな、と言うのではないだろうか。

 

高齢者の今までの苦労はいざ知らず、現役世代の我々こそが今苦しんでいるんだという事を声高に叫び、高齢者との対立構造が生まれ、ますます社会は分断されていく。

 

今はそんな時代では無く、人々は経済的にも心理的にも貧しく人の事を考える余裕が無いという時代なのだ。

 

最後に演説を載せておく。今の社会状況がどうあれ、福祉に携わるものとして留めておきたい名文である。

 

(4)演説抜粋

「ようやく日本人の汗と涙と努力の結晶はこのような経済的基盤を作ったのであります。この経済的拡充された基盤を元として社会保障の中身を完備していくことができるのであります。皆さん、私はいろんなことを申し上げるまでもなくこれからは今までの蓄積を基盤にしてそして理想的な日本の社会保障を完備しようというのであります。皆さん、我々も大地を這いずり舐めるような努力をしながら今日を迎えました。戦後25だった人は50になり50の人は75になり75の人は100になるんです。皆さん、本当に大地を這いずり舐めるような苦労をしてきたこの人たちをお年寄りになったら誰が一体面倒見るんですか。お互いが働いて面倒見る以外にはないのであります。皆さん、本当にお年寄りにご苦労様でございました。この世に生まれたことを喜んでくださいというには我々が働いて年寄りは我々の責任において担っていかなけれならないんです。皆さん、自分たちが働かないでが努力をしないでどうして一体老人を大事にするような良き社会ができるのでありましょう。皆さん、お互いみんなやっぱり年寄りになるんです。だから今老人対策を行いながらお互いが年寄りになった時も社会が故郷の力でお年寄りの面倒を見るような制度を完備することこそ真の日本の社会保障の拡充でなくて何でありましょう。皆さん、親たちが我々のために汗を流してくれたように我々も子供のためにもうひと汗を流そうという考えのもに初めて理想的な日本が築き上げられるのであります。自由民主党は過去も現在も将来も千年の将来にって新しいたましい日本を築きあげようと考えておるのであります。」

 

 

 

 

(1)財産管理は難しい

高齢者が一人でいる場合を含めて、財産管理というのは難しい。施設の入居費や病院代などの請求が来た時に、本人が支払えれば良いがそうとも限らない。場合によっては銀行が現金を持って来てくれるという事もありうるだろうが、とはいえ病院がわざわざ自宅まで集金に来てくれるということは無い。

 

家族がいる場合は何とかなるだろうが、問題は独り身の場合である。

 

もう25年以上前の話だが、私がいた施設では施設に金銭管理を依頼する人が殆どで、自己管理する人は数える位しかいなかった。施設では個人の金庫は無かったし、月々に渡す小遣いでも高齢者同士の貸し借りがあったり、場合によっては高齢者が無駄遣いして必要な費用を支払えない事例があったからそういう事にしたわけで、必要と言えば必要な事だったのだろう。

 

施設側も金銭の支払いの滞りが無く、高齢者も預けておく方が何かと安心という防止策を取るのは当然だが、当時からも好ましくない指摘はされていたように思う。

 

(2)盗みは本能のようなもの

金銭を預かるというのは私がいた施設だけでなく、法人全体でそうだった。ところが系列の施設で事務員が利用者のお金を横領したことが事件になってしまった。

 

その他にも記事にあるように、何かと甘い言葉で高齢者を騙して搾取する介護職員の話は枚挙に暇が無く、ひどいのになると経営者が搾取を行っているというのもあるようだ。

 

それは研修などで倫理観を育てるなんて悠長な話ではない。追い込まれた人間が人のものを盗むというのは本能のようなものだ。

 

ではだれが介護職員を追い込んでいるのか、という根本問題である。それはもともと金銭的に余裕が無い人が働いているという事、介護の仕事の給与が低いという事、つまりはもともと「人のものを盗む素養のある人」が「安い給料で生活もひっ迫している状況」であれば、事件が起こるのも当然だ。そこに「福祉の仕事をする人は良い人」という世間の思い込みもあるから、余計に目立つことになる。

 

(3)自分の身は自分で守る

そうすると、生活に余裕があって、人のものを盗む必要のない介護職員や事業所が安心という事になるかもしれないが、おそらくそんな事業所は少ない。

 

そうであれば高齢者も「自分の身は自分で守る」以外に方法は無い。

 

盗まれたものは帰ってこない。高齢者がせっかく貯めた財産は、こうした輩によって無駄になり、その高齢者は憤り、焦燥、場合によってはなる必要のない貧困状態で老後を迎え、過ごすことになる。

 

だからお金のやり取りについては自己責任で出来る範囲というのは当然だが、年を取ったら信用のある、そして保障のある所にお願いするという事になるのが良いと思う。

 

昔は「老いたら子に従え」という言葉があったが、少子化、核家族化にある現代では死ぬまで自分の身は自分で守らなければならない。

今年の夏は特に暑い。

 

連日36℃を超える猛暑、酷暑、炎暑。

家の中にいてもクーラーをつけないとどうにもならない。

 

最近の夏は長い。

6月から10月一杯まで続くように思う。

 

だから9月=秋の始まりという事にはならず、今年もまだまだ30℃を超える日は続く予報だ。

 

しかしそんな中でも秋の気配というのはするものだ。

 

私のデスクから見る景色。

季節によって、ビルの間から差し込む太陽光が変わる。

 

丁度こちらは真西になる。7月以降、このビルの間からの日差しは強いので、カーテンを閉め切るようにしている。

 

それが9月になると日が差す時間が遅くなる。今の時間は15:30くらいから差し込む。

 

そうすると、カーテンを閉める時間も変わる。

 

私にとってはこれが「秋の気配」なのだ。

 

こうした何気ない一場面でも季節の移り変わりというのは実感できるというモノだ。