ケアマネ時々卓球、時々その他 -12ページ目

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

(1)還暦が見えてきた独身男

私が離婚してもう20年以上たつ。年齢も還暦が見えてきた年齢になった。おそらく出会いはもうないだろうし、望むべくもない。独り身でいることに不満や不安も無いし、私一人で今与えられた今世を生き抜くことは何とか出来るだろうとは思う。

 

では、それが私の望んでいた人生だったか、親に対しての孝行であったかと言えばそうは思わない。家庭をもって、子供を育て、次代に血を繋ぐ事は人間としての使命だと思っているから、それが出来なかったという点では周りよりも劣っていると自覚している。

 

しかし私はそれが出来なかった。だからと言って引け目を感じているわけでは無い。自分には出来なかっただけの話だという事は最初に述べておきたい。

 

(2)男はすべて養う覚悟が必要

YOU TUBEの婚活サイトなどを見ていると「美人なのに結婚できない女の特徴」などが出て来る。確かにそういう特徴を持つ女性というのは結婚したくないどころか一緒にいたくも無い。

 

しかし女性の立場で考えれば、自分の母親を見て思う理想みたいなものもあるだろう。うまく行っていればそうなりたいと思うし、うまく行っていなければ、ああはなりたくないと思う。それが結婚という人間の本質にかかわる問題であれば尚更失敗したくないだろう。

 

更に今まで女性に強いていたものもある。

結婚すれば「嫁ぐ」というように男性の家に入るのが一般的である。女性にはそれだけの覚悟が求められたし、逆に男性には家族を養う義務があった。

 

それは女性は経済力が無かったし、男性は家事能力が無いというより時間が無い。そうするとお互いが役割を果たす事で一致点を見つけていたと思うのだ。ところが女性も働き、自分で稼ぐことが出来、自分の好きなように生きていける時代になり、男性も家具の発達により能力を発揮しなくても生活できる状態であれば、今までの結婚スタイルに一致点を見つけることは出来ない。

 

更に面倒くさいのは、専業主婦なのに家事は分担という自分勝手なもの。そういう事を各メディアも多かったし、そういうものに影響を受けて、「これこそが現代の結婚だ」と勘違いした人も多かったのではないかと思う。

 

(3)幸せな家庭を築きたかった

それでも結婚してうまく行っている人は結果論だ、と結論付けることは出来ると思う。勿論、お互いが協力して、お互いを尊重してというのが理想だが、人間はそこまで出来ていない。どうしても自分可愛さがあるし、それが普通だと思う。

 

しかし結婚したならば、自分を捨て、養う覚悟が必要なのだろうと思う。うまく行かなければ離婚すれば良いというのも無責任だし、今はそういう流れのようにも思うけど。

 

まあ、離婚した自分が言うのも何だけど、なんだかんだ言っても幸せな家庭を築きたかったと叶う事の無い妄想に入る時があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(1)ヘルパーにとっては地獄の季節

ヘルパーをしていた時、この夏の時期は大変だった。私はただでさえ暑がりなのに、入浴介助などは呼吸をするのも大変だった。なので、この時期はTシャツを何枚もカバンに入れて、何度も着替えたものだ。私は男性だからちゃっちゃと着替えることが出来るが、女性だったら大変だろうと思う。

 

それでも移動は自転車を乗り回すので、暑さ対策をすれば何とかなる。勿論、涼しい所で仕事が出来て、外回りの移動が無ければそれに越したことは無いが、冷房に当たってばかりも体に良くない。実際にこの時期を乗り越えれば冬も乗り切れる。

 

とはいえ、ヘルパーにとってこの夏は地獄だ。本当に命を削りながら仕事をしているヘルパーには敬意を払いたい。

 

(2)サウナの中で働いていた入浴介助

訪問介護ヘルパーの仕事は身体介護と生活援助に分かれる。

いずれにせよ肉体労働だ。自分の家では何もこんなに暑い時に掃除なんか丁寧にしなくても良いのに、と思うだろうが、ヘルパーの仕事となるとそうもいかない。

 

そんな中、利用者が気を利かせてクーラーを入れてくれれば良いが、場合によってはクーラーが無い家もそれなりに存在する。動かなければ生活位は出来るかもしれないが、作業をするにはきついったらありゃしない。

 

私は高齢者の仕事を施設でもヘルパーでも行ったが、やはりこの時期に一番きつかったのは入浴介助だ。当たり前だが浴室にクーラーは無い。息をするのも熱い空気が入ってくる、サウナ状態だからだ。さらに肘まである手袋をつける。これがまた熱い。

 

この季節になるとそういうことを思い出すものだ。

 

(3)熱意が報われて欲しい

私は幸いにして熱中症の症状になって、仕事に穴を開けたことは無い。

しかし記事には約7割のヘルパーが熱中症の症状を仕事中に経験しているという。記事にはクーラー代を節約している家庭、トイレ、台所などクーラーがきかない所での作業もある事が言われている。

 

こういう事でもヘルパーは辛いだろうが、利用者のために頑張っている。それは自己犠牲とも違うが、仕事に対する熱意だろう。

 

そのポジティブな考えと、こんな状況で仕事なんかやってられないというネガティブな考えを天秤にかけて、今はポジティブな考えが勝っているから出来ているが、何らかの理由でネガティブになる事だって十分ありうる。

 

訪問介護の仕事は命を削ってまでやる仕事ではないはずだ。働く側も気持ちよく仕事が出来る環境を作るべきだろう。

 

そういう熱意が報われる介護業界であって欲しいと願う。

 

 

(1)戦後の混乱期を生き抜いた

私の父親は昭和7年生まれで母親は昭和9年の生まれ。戦争が終わった時は13歳、11歳と言う年齢である。その頃の話を両親から詳しく聞いたことは無かったし子供の頃は興味も無かった。しかし大人になり福祉の仕事に携わる中で、高齢者から当時の事を聞く機会が増えたことにより、その当時の混乱、そしてその教育を受けた後の人生というものは、かなりの影響を及ぼすものであると思うようになった。

 

明治維新以降、日清・日露戦争を勝ち抜いた日本はまさに世界から一目置かれる存在だっただろう。いわゆる欧米列強が地球を切り取りして植民地を広げ、弱肉強食の時代、アジア各地域も植民地化された状態で日本はアジアでも数少ない植民地を免れた国であった。不平等条約が云々あるだろうが、日本が植民地化され、日本人が奴隷にならずに済んだのである。その土台、スタートは大きく、最終的には不平等条約を撤廃し、列強と肩を並べるまでになった。

 

しかし不幸にも起こってしまった大東亜戦争。

戦争をすれば負けるのは最初から分かっていた。しかしABCD包囲網による経済制裁により資源が枯渇すれば、それは国力の低下であり、ひいては日本が植民地化される恐れすらあった。外交の失敗と言うが、それは結果論だ。

 

そして昭和20年8月15日に終戦を迎える。問題はそこからだった。

 

(2)日本は良い国?悪い国?

日本は開戦にあたり開戦の詔勅というものが出されている。

ここに全文を載せる。

 

「引用開始

 

神々のご加護を保有し,万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は,忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

 

私はここに,米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は,全力を奮って交戦に従事し,私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ,私の国民はおのおのその本分をつくし,一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

 

そもそも,東アジアの安定を確保して,世界の平和に寄与する事は,大いなる明治天皇と,その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで,遠大なはかりごととして,私が常に心がけている事である。

 

そして,各国との交流を篤くし,万国の共栄の喜びをともにすることは,帝国の外交の要としているところである。今や,不幸にして,米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は,私の本意ではない。 中華民国政府は,以前より我が帝国の真意を理解せず,みだりに闘争を起こし,東アジアの平和を乱し,ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ,もう四年以上経過している。

 

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と,善隣の誼(よしみ)を結び,ともに提携するようになったが,重慶に残存する蒋介石の政権は,米英の庇護を当てにし,兄弟である南京政府と,いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は,残存する蒋介石政権を支援し,東アジアの混乱を助長し,平和の美名にかくれて,東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

 

あまつさえ,くみする国々を誘い,帝国の周辺において,軍備を増強し,わが国に挑戦し,更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ,ついには意図的に経済断行をして,帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし,長い間,忍耐してきたが,米英は,少しも互いに譲り合う精神がなく,むやみに事態の解決を遅らせようとし,その間にもますます,経済上・軍事上の脅威を増大し続け,それによって我が国を屈服させようとしている。

 

このような事態がこのまま続けば,東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は,ことごとく水の泡となり,帝国の存立も,まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては,我が帝国は今や,自存と自衛の為に,決然と立上がり,一切の障害を破砕する以外にない。

 

 皇祖皇宗の神霊をいただき,私は,汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し,祖先の遺業を押し広め,すみやかに禍根をとり除き,東アジアに永遠の平和を確立し,それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 

引用終了」

 

そして日本は戦争に敗れた。

 

そして混乱の教育が始まった。

 

(3)混乱の養育を受けた先には

戦争の痛手というのは大きい。二度と繰り返してはならない負の歴史である。

 

しかしそれと丸腰になる事は違う。

そして戦争というのは各々の正義で行う。敵から見ればそれは正しくない事だろう。だから歴史というのは勝者の記録である。「history」は「his story」なのだ。

 

この頃の教育は戦前・戦中とこれが正しいという事が、戦後否定された教育内容だった。受けた子供たちは、昨日まで正しいとされたことが、今日は正しくないと言われた。

 

そうした混乱は、高齢者になっても「これは良いのか、悪いのか」という戸惑いを生んだ。

 

だから戦争の話というのは「繰り返してはならない」という話はあるけれど、戦争目的である「アジアの開放」を達成したという話を聞くことは殆ど無かった。

 

だから日本は繰り返し反省の言葉を出していたが、故安倍総理の戦後70年談話で一区切りをつけた。いつまでも謝り続けるのではなく、未来志向での談話で、各方面で高い評価を得た。

 

日本は未来に向けて歩き始めたのだ。

 

しかし、本当の意味で歩くのはもっと未来になってからだろう。戦争に負けたというのはそういう事だし、100年、200年と屈辱にまみれたままの国も多いはずだ。

 

石破総理がどんな談話を出すか、という事についてはまた反省などの言葉を使うのではないかという疑心暗鬼になる人が多い。

 

確かにそれはそうだが、日本が生まれ変わり、未来に驀進するには談話の内容がどうあれ、もう少し時間はかかるだろう。

 

戦争をしたいなんて言う人はいない。しかし歴史は多面的なものである。すべて「反省」で片づける人は、考えの浅い人なのだと思う。