戦争をしたい人なんかいない、ただ・・・ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)戦後の混乱期を生き抜いた

私の父親は昭和7年生まれで母親は昭和9年の生まれ。戦争が終わった時は13歳、11歳と言う年齢である。その頃の話を両親から詳しく聞いたことは無かったし子供の頃は興味も無かった。しかし大人になり福祉の仕事に携わる中で、高齢者から当時の事を聞く機会が増えたことにより、その当時の混乱、そしてその教育を受けた後の人生というものは、かなりの影響を及ぼすものであると思うようになった。

 

明治維新以降、日清・日露戦争を勝ち抜いた日本はまさに世界から一目置かれる存在だっただろう。いわゆる欧米列強が地球を切り取りして植民地を広げ、弱肉強食の時代、アジア各地域も植民地化された状態で日本はアジアでも数少ない植民地を免れた国であった。不平等条約が云々あるだろうが、日本が植民地化され、日本人が奴隷にならずに済んだのである。その土台、スタートは大きく、最終的には不平等条約を撤廃し、列強と肩を並べるまでになった。

 

しかし不幸にも起こってしまった大東亜戦争。

戦争をすれば負けるのは最初から分かっていた。しかしABCD包囲網による経済制裁により資源が枯渇すれば、それは国力の低下であり、ひいては日本が植民地化される恐れすらあった。外交の失敗と言うが、それは結果論だ。

 

そして昭和20年8月15日に終戦を迎える。問題はそこからだった。

 

(2)日本は良い国?悪い国?

日本は開戦にあたり開戦の詔勅というものが出されている。

ここに全文を載せる。

 

「引用開始

 

神々のご加護を保有し,万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は,忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

 

私はここに,米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は,全力を奮って交戦に従事し,私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ,私の国民はおのおのその本分をつくし,一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

 

そもそも,東アジアの安定を確保して,世界の平和に寄与する事は,大いなる明治天皇と,その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで,遠大なはかりごととして,私が常に心がけている事である。

 

そして,各国との交流を篤くし,万国の共栄の喜びをともにすることは,帝国の外交の要としているところである。今や,不幸にして,米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は,私の本意ではない。 中華民国政府は,以前より我が帝国の真意を理解せず,みだりに闘争を起こし,東アジアの平和を乱し,ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ,もう四年以上経過している。

 

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と,善隣の誼(よしみ)を結び,ともに提携するようになったが,重慶に残存する蒋介石の政権は,米英の庇護を当てにし,兄弟である南京政府と,いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は,残存する蒋介石政権を支援し,東アジアの混乱を助長し,平和の美名にかくれて,東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

 

あまつさえ,くみする国々を誘い,帝国の周辺において,軍備を増強し,わが国に挑戦し,更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ,ついには意図的に経済断行をして,帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし,長い間,忍耐してきたが,米英は,少しも互いに譲り合う精神がなく,むやみに事態の解決を遅らせようとし,その間にもますます,経済上・軍事上の脅威を増大し続け,それによって我が国を屈服させようとしている。

 

このような事態がこのまま続けば,東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は,ことごとく水の泡となり,帝国の存立も,まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては,我が帝国は今や,自存と自衛の為に,決然と立上がり,一切の障害を破砕する以外にない。

 

 皇祖皇宗の神霊をいただき,私は,汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し,祖先の遺業を押し広め,すみやかに禍根をとり除き,東アジアに永遠の平和を確立し,それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 

引用終了」

 

そして日本は戦争に敗れた。

 

そして混乱の教育が始まった。

 

(3)混乱の養育を受けた先には

戦争の痛手というのは大きい。二度と繰り返してはならない負の歴史である。

 

しかしそれと丸腰になる事は違う。

そして戦争というのは各々の正義で行う。敵から見ればそれは正しくない事だろう。だから歴史というのは勝者の記録である。「history」は「his story」なのだ。

 

この頃の教育は戦前・戦中とこれが正しいという事が、戦後否定された教育内容だった。受けた子供たちは、昨日まで正しいとされたことが、今日は正しくないと言われた。

 

そうした混乱は、高齢者になっても「これは良いのか、悪いのか」という戸惑いを生んだ。

 

だから戦争の話というのは「繰り返してはならない」という話はあるけれど、戦争目的である「アジアの開放」を達成したという話を聞くことは殆ど無かった。

 

だから日本は繰り返し反省の言葉を出していたが、故安倍総理の戦後70年談話で一区切りをつけた。いつまでも謝り続けるのではなく、未来志向での談話で、各方面で高い評価を得た。

 

日本は未来に向けて歩き始めたのだ。

 

しかし、本当の意味で歩くのはもっと未来になってからだろう。戦争に負けたというのはそういう事だし、100年、200年と屈辱にまみれたままの国も多いはずだ。

 

石破総理がどんな談話を出すか、という事についてはまた反省などの言葉を使うのではないかという疑心暗鬼になる人が多い。

 

確かにそれはそうだが、日本が生まれ変わり、未来に驀進するには談話の内容がどうあれ、もう少し時間はかかるだろう。

 

戦争をしたいなんて言う人はいない。しかし歴史は多面的なものである。すべて「反省」で片づける人は、考えの浅い人なのだと思う。