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ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)要介護になったという事をどうとらえるか

年を取り、身体が不自由になった時「そろそろ介護認定を受けたら?」と言われたらどう思うか?

①自分はまだ大丈夫。人の世話にならないでも生きていける!と認定自体を拒否する。

②「貰えるものはもらっておこう」としてとりあえず認定を受けるか。

③「やっぱり人の世話にならないと無理か」と諦めで介護認定を受けるか

 

どちらが正しいという事では無い。

 

自分はまだ人の世話にならないでも大丈夫とプライドを持って生きるのも大事だし、周りから見て放っておけないから人の手を借りたら?というのもその通り。

 

要は介護保険という制度をどのように活用するか?という事が大事であって、認定調査はその手段であるという事である。

 

(2)今すぐ使えるメリットを

電車の吊り広告で「給与明細はその人の通信簿」というキャッチコピーを見たことがある。それと同様で「要介護度は高齢者の通信簿」という人もいるだろうと思う。しかしその通信簿は二つ意味があり、一つは要介護度によって使えるサービスの限度額が違うという事。要介護度が高くなれば使えるサービスも増えるので、優位に思う人もいると聞いたことがある。もう一つは「あなたは介護サービスを受ける事が出来ますよ」という認定証のようなものとしてとらえる人。いずれにしてもあまり前向きな意味ではない。

 

しかし介護保険では役に立つことが多い。

 

例えば手すりを付けるとか、和式トイレを洋式トイレに代えるとかいう住宅改修工事も介護保険サービスの一つである。

 

介護保険サービスというのは、何も訪問介護やデイサービスだけではない。

 

介護認定を受ける人は、このような住宅改修だけを利用する人も多いのだ。

 

だから介護認定を受けるという事は権利を行使するという事であり、受けるもうけないもその人の自由である。しかしこういう工事が出来るという事を知っているだけで、費用の負担が小さくなるというメリットをどう伝えるか、という事だろう。

 

(3)介護保険の「得」を理解する

私の利用者でも、要介護認定を受ける為の説得に四苦八苦したという話はよく聞く。病気で麻痺が出て、なんていう分かりやすいものであれば説得もしやすいが、徐々に体力が低下して、なんていう目に見えて本人も自覚が無い場合は難しいと思う。

 

だから最終的には認定を受けた方が得だという事を理解してもらうという事になるだろう。

 

一つ間違えば「あんたはもう年寄りなんだから」という事になりかねない。これは「あんたは人の手を借りないとダメなんだよ」という事にもなりかねない。

 

おそらく高齢者の方もそれは分かっている。しかし「尊厳」というものは大事にしたいと思う。

 

 

 

 

(1)還暦が見えてきた独身男

私が離婚してもう20年以上たつ。年齢も還暦が見えてきた年齢になった。おそらく出会いはもうないだろうし、望むべくもない。独り身でいることに不満や不安も無いし、私一人で今与えられた今世を生き抜くことは何とか出来るだろうとは思う。

 

では、それが私の望んでいた人生だったか、親に対しての孝行であったかと言えばそうは思わない。家庭をもって、子供を育て、次代に血を繋ぐ事は人間としての使命だと思っているから、それが出来なかったという点では周りよりも劣っていると自覚している。

 

しかし私はそれが出来なかった。だからと言って引け目を感じているわけでは無い。自分には出来なかっただけの話だという事は最初に述べておきたい。

 

(2)男はすべて養う覚悟が必要

YOU TUBEの婚活サイトなどを見ていると「美人なのに結婚できない女の特徴」などが出て来る。確かにそういう特徴を持つ女性というのは結婚したくないどころか一緒にいたくも無い。

 

しかし女性の立場で考えれば、自分の母親を見て思う理想みたいなものもあるだろう。うまく行っていればそうなりたいと思うし、うまく行っていなければ、ああはなりたくないと思う。それが結婚という人間の本質にかかわる問題であれば尚更失敗したくないだろう。

 

更に今まで女性に強いていたものもある。

結婚すれば「嫁ぐ」というように男性の家に入るのが一般的である。女性にはそれだけの覚悟が求められたし、逆に男性には家族を養う義務があった。

 

それは女性は経済力が無かったし、男性は家事能力が無いというより時間が無い。そうするとお互いが役割を果たす事で一致点を見つけていたと思うのだ。ところが女性も働き、自分で稼ぐことが出来、自分の好きなように生きていける時代になり、男性も家具の発達により能力を発揮しなくても生活できる状態であれば、今までの結婚スタイルに一致点を見つけることは出来ない。

 

更に面倒くさいのは、専業主婦なのに家事は分担という自分勝手なもの。そういう事を各メディアも多かったし、そういうものに影響を受けて、「これこそが現代の結婚だ」と勘違いした人も多かったのではないかと思う。

 

(3)幸せな家庭を築きたかった

それでも結婚してうまく行っている人は結果論だ、と結論付けることは出来ると思う。勿論、お互いが協力して、お互いを尊重してというのが理想だが、人間はそこまで出来ていない。どうしても自分可愛さがあるし、それが普通だと思う。

 

しかし結婚したならば、自分を捨て、養う覚悟が必要なのだろうと思う。うまく行かなければ離婚すれば良いというのも無責任だし、今はそういう流れのようにも思うけど。

 

まあ、離婚した自分が言うのも何だけど、なんだかんだ言っても幸せな家庭を築きたかったと叶う事の無い妄想に入る時があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(1)ヘルパーにとっては地獄の季節

ヘルパーをしていた時、この夏の時期は大変だった。私はただでさえ暑がりなのに、入浴介助などは呼吸をするのも大変だった。なので、この時期はTシャツを何枚もカバンに入れて、何度も着替えたものだ。私は男性だからちゃっちゃと着替えることが出来るが、女性だったら大変だろうと思う。

 

それでも移動は自転車を乗り回すので、暑さ対策をすれば何とかなる。勿論、涼しい所で仕事が出来て、外回りの移動が無ければそれに越したことは無いが、冷房に当たってばかりも体に良くない。実際にこの時期を乗り越えれば冬も乗り切れる。

 

とはいえ、ヘルパーにとってこの夏は地獄だ。本当に命を削りながら仕事をしているヘルパーには敬意を払いたい。

 

(2)サウナの中で働いていた入浴介助

訪問介護ヘルパーの仕事は身体介護と生活援助に分かれる。

いずれにせよ肉体労働だ。自分の家では何もこんなに暑い時に掃除なんか丁寧にしなくても良いのに、と思うだろうが、ヘルパーの仕事となるとそうもいかない。

 

そんな中、利用者が気を利かせてクーラーを入れてくれれば良いが、場合によってはクーラーが無い家もそれなりに存在する。動かなければ生活位は出来るかもしれないが、作業をするにはきついったらありゃしない。

 

私は高齢者の仕事を施設でもヘルパーでも行ったが、やはりこの時期に一番きつかったのは入浴介助だ。当たり前だが浴室にクーラーは無い。息をするのも熱い空気が入ってくる、サウナ状態だからだ。さらに肘まである手袋をつける。これがまた熱い。

 

この季節になるとそういうことを思い出すものだ。

 

(3)熱意が報われて欲しい

私は幸いにして熱中症の症状になって、仕事に穴を開けたことは無い。

しかし記事には約7割のヘルパーが熱中症の症状を仕事中に経験しているという。記事にはクーラー代を節約している家庭、トイレ、台所などクーラーがきかない所での作業もある事が言われている。

 

こういう事でもヘルパーは辛いだろうが、利用者のために頑張っている。それは自己犠牲とも違うが、仕事に対する熱意だろう。

 

そのポジティブな考えと、こんな状況で仕事なんかやってられないというネガティブな考えを天秤にかけて、今はポジティブな考えが勝っているから出来ているが、何らかの理由でネガティブになる事だって十分ありうる。

 

訪問介護の仕事は命を削ってまでやる仕事ではないはずだ。働く側も気持ちよく仕事が出来る環境を作るべきだろう。

 

そういう熱意が報われる介護業界であって欲しいと願う。