怒られる素質 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)自分の事しか考えない人は多い

私の知り合いでも、事あるごとに怒られるという人がいる。それも言葉遣いとか仕事の姿勢とか。この記事の方もそうだが、「コミュニケーション能力や、在宅に上がる際のマナーや担当者会議、電話対応など毎日のように上司から怒られます」とあるが、一人で仕事をしている私からすると気の毒というか、そんなに指摘することある?と思うくらいである。

 

しかし考えてみれば私が雇った社員でも、やはり注意が必要な人間は何人もいた。

 

私が注意するのは明確で、やはり自分の事しか考えていない人である。それは介護業界という特殊な業界ならではかもしれない。

 

(2)介護という甘えた環境で

在宅介護に就職するには何だかんだと資格が必要になる。ヘルパーの資格、ケアマネの資格、それぞれに試験を受けたり講習を受けたりしないといけない。

 

つまり就職する側のマインドが

①働いてやる

②資格を持っている自分を欲しがるだろう。

等という自分本位の人間では仕事にならない事も多い。

 

人ひとりの出来る事なんて言うのは限界がある。こういう人は自分が思う限界に達したら、後は会社がやるべきという他者依存の傾向があるように思う。

 

しかしこんな人間がのさばるのも、介護業界が人不足という事だろうと思う。

 

私が経営していく上で重視したのは目標を明確にするという事だ。そもそも会社で働くという事はどういうものだろうか?という事である。社長一人の力で何でも出来て、従業員にも還元できるなんて言う会社なら、社員を雇う必要はない。

 

会社員の頑張りがあって、会社が潤い、その上で社員に還元していくというのが原則だ。つまり社員の頑張りや貢献があって会社というのは成り立つ。

 

だから貢献はしないけど、実利は欲しいなんて言うのは会社には必要ない人間だ。

 

しかし介護の会社というのは人不足で、こういう役に立たない人間も数合わせで雇わなければならない所が痛い。

 

そういう人間は教育でどうなるものでもない。それが常識といっても良い。

 

(3)鍛えられた人は分かる

仕事というのは本来業務で貢献すれば良いというものでは無い。そこに行きつくためにマナーを始めとする「常識」というものがあるのだと思う。

 

そういう意味で営業職を経験した人は、どこかの場面で鍛えられた素地が見える。逆に鍛えてこなかった人間は、それだけで分かるというものだ。

 

しかしそういう人は余程自分を鍛えるという決意が無い限り、人のいう事には耳を貸さない。そして周りから見放されていくというものだ。つまり怒られるというのはそれだけ見込みがあるという事で、見込みのない奴は怒ろうとも思わない。

 

やはり自己啓発というものを含め、自分が変わるチャンスだという考えを持たないと人は変わらない。よく、ある程度の年齢になれば怒られることは無いと思っている人もいるが、それは人のいう事に耳を貸さないと言っているに等しい。

 

まあ、注意されるのは面白くないが、こういう考え方もあるのかと気付かされることも多い。怒られるのは面白くないが・・・というのが分かるのもある程度の人生経験が必要なのかもしれない。