ゴミ屋敷をどうするか | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)モノと言う価値観

ケアマネであればどこかで経験、もしくは聞いたことがあるであろう「ゴミ屋敷問題」部屋に入った瞬間、「うわ~」ってなる奴である。モノに対する思い入れと言うのは人それぞれだから何とも思わないが、介護という立場で見ると生活しにくいだろうという思いが先に立つ。つまり「こんな下らないモノを・・・」という思いが無いわけでは無いが、勝手に人に捨てられるのは頭に来る原因にもなると思うのだ。

 

以前、私が勤めていた老人ホームでは荷物は収納ボックス二つ分くらいしか持ってこれなかった。そうすると服だけで一杯になる人もいて、趣味のものなどを持ってくる人はあまりいなかった。しかし、ある時新規の入所者でものすごい量の荷物を持ってきた人がいた。その荷物は台所用品から大正琴など、アパートで生活できるくらいのものだった。その時は職員で荷物を整理し、殆ど捨てたわけだが、その時の利用者の憤りと言うか諦めの言葉はやはり思い入れがあったという事を予想させた。

 

おそらく「何かの時に使うかもしれない」「まだ使える」というものが積み重なって大荷物になってしまうのだろうと思うが、新しいものを買ったら、古いものは捨てるくらいの整理をしないと中々荷物は減らないもの。つまりは「古いものを新しいものに買い替える」という発想が無いと、いくらでも物はたまる。

 

(2)シャドーワーク問題

記事によると、ケアマネが15時間ほど掃除をさせられたという事だが、そういう話はちょくちょく聞く。そういうケアマネは「自分も楽しんでやっているから」とか無理やりポジティブな話にしているが、そもそもシャドーワークというものの捉え方はそのケアマネの経験してきた職場にもよるように思う。

 

ちなみに私はシャドーワークを一切やらない派である。というよりやってはいけないとすら思っている。

 

ケアマネと言うのはそれなりに能力がある人だから、やろうと思えば何でもできる。もう一つ踏み込めばタダで何でもやってくれる「便利屋」としか見ていない人もそれなりにいる。

 

そして、信頼関係を深める手段としてそういう無理なニーズにも対応するという事もよく聞かれることである。

 

しかし、そういうことをしなくても信頼関係を築ける人もいるわけで、つまりは依存してくる人をどう処理するのかという事かもしれない。

 

今回の場合は私であれば清掃業者を手配するまでである。多少ゴネようが、ただで人は動かないという原則は絶対という立場である。そのことによって不利益が生じても自己責任であろう。

 

(3)相手に押し付けるくらいで

そんな私でもシャドーワークをやらざるを得ない時もある。その時に言われるのは「~(シャドーワーク)の支援をして欲しい」という事である。物は言いようである。

 

そんな事である利用者がサービス付き高齢者住宅に転居するときの引っ越しの手配や手伝いをしたことがある。その時も業者一覧を渡して自分で手配させるというのも支援であるが、そうすると絶対にやらないので私が手配したという事である。

 

だからシャドーワークの考え方だが、個人的な意見になるが、やってくれる人をいかに探すかであるし、そこにお金がかかってもしょうがないという事であろう。

 

ケアマネと言うのは放っておくと何でも押し付けられるものである。だから各個撃破して、自分から相手に押し付けるくらいで丁度良い。