(1)バランスのとり方が難しいケアマネの仕事
毎度おなじみの「ケアマネの質」という問い。
様々な場面で気軽に使われるものだが、そもそも「ケアマネの質」とか「介護の質」というものをキチンと定義されたものを見たことが無い。
それは利用者や家族から見る景色と、行政から見る景色、そしてケアマネ自身から見る景色が全て違うからだ。
利用者のニーズ全てを満たす御用聞きのようになれば利用者の満足度は高いだろうが、行政側も「介護サービスで不適切な行為」となるし、ケアマネ自身も「やりすぎ」という評価が下げる原因にもなる。
行政の、制度のものしかやらないとなれば、それは指導や処分されることは少ないだろうが、利用者のニーズにこたえきれないという、いずれにしても「帯に短したすきに長し」の状態にならざるを得ないのだ。
だからそういう均衡の取れないバランスの上に立たされているのがケアマネだと思う。
そういう所では振り落とされてしまう人もいるし、そもそもそこに乗りたくないという人もいるだろう。それはそのバランスの取り方がいかに難しいかを如実に物語っている。
(2)「心技体」で考える
それでこのアンケート「今後、ケアマネは質と量のどちらを求められると思いますか?」という何ともはやなアンケート。
解答も「質(量が少ないのはしょうがない)」、「量(質はAIなどの別の方法で担保する)」、「質と量、両方」「その他」という、これまた「・・・」という解答。
アンケートの結果、「質と量の両方」(56.9%)で、次いで「量(質はAIなど別の方法で担保する)」(24.4%)などと続き、「質(量が少ないのはしょうがない)」は16.0%となった。
まあ、普通に考えれば「質と量、両方」だろう。そして現実派は「量」となるし、それでも「質」は大事だよという人も一定数いるという事だ。
しかし「質が良い」というのはどういうことかが明確でない以上、この話は机上の空論に過ぎない。
そこで参考になるのは「心技体」という事である。
空手などの武道を始める時、「心技体」のどこから学ぶのか、という事である。当たり前だが最初から「心」が充実しているわけではない。「技」も同じ。となると最初に鍛えるのは「体」なのである。厳しい鍛錬を積む中で「技」を磨き、そして「心」を鍛える。そうして「心技体」は作られていく、というものだ。
これをケアマネの質云々に当てはめれば、ある程度の「量」は必要だ。そこで経験を積みながら「技」を磨き、「質」という「心」を整えることになる。
つまり最初から「質」だ「量」だという事はナンセンスである。
ある程度の「量」(体)があり、経験(技)を磨き、「質」(心)を整えるという順番の問題であって、「どちらが求められるか」という問い自体がナンセンスであると思う。
(3)それぞれの価値観で
そもそも介護というのは従事者の個人的な価値観が大きく反映される傾向が強い。そして顧客満足度もその価値観は個人差があるわけだから、何をもって「質が高い」とか「質が低い」とは言えないはずだ。
利用者のニーズを把握し、介護保険という制度を活用して高齢者の生活を支えるという基本姿勢さえ理解していれば、私はそのケアマネの質は高いと評価できると思っている。
いつも思うが、こういう「質」だの「量」の問題というのはナンセンスな議論だと思う。