(1)賃上げ闘争によるストライキ
今あるかわからないが、私が学生の時には年に数回(だったと思う)鉄道会社のストライキというのがあった。高校生だった自分は遅刻できる大義名分ができたのでのんびりしていたものだった。また、私が通っていた高校でも先生によるストライキがあって、授業が1時間無くなった時もあった。高校生だから、授業がなくなるのは嬉しい。
でも、先生の側はそうではないだろう。
一つは学生の「授業を受ける権利」を侵害したということ。授業を受けられない不利益をこうむるのは学生の方であるという考え。もっともそれだけ受けないと不利益になるという授業ではなかったと思うが、まあ、建前としてはそうなんだろう。
鉄道のストライキについても同様。
つまりはストライキを実施することで不利益・被害を被る人が出てきて、そういう社会的な影響が世論を動かすというのがストライキの効果だろうと思う。
つまり一般人にも「痛みを伴う」ものだし、そういうことは経営にも影響が出る。しかし正当なストライキは労働法で認められているのだ。
(2)介護のストライキ?
それで記事の内容である「介護のストライキ」の話であるが、私もかつてこんな経験をしたことがある。
以前、区の訪問介護事業者連絡会の役員をしていた。その時に在宅緩和の会があり、その研修の参加と末期がんの利用者の受け入れを「連絡会として」協力するよう話があった。
しかし当時からもヘルパー不足は深刻で、末期がんの利用者というのはサービス料のボリュームも多く、しかもすぐに亡くなってしまうと、仕事量を当てにしていたヘルパーの仕事を失うことになる。登録ヘルパーに依存していたスタイルをとる事業所が中心だった当時にすれば、それは条件が悪い。なので、私は「予定されていた仕事がなくなった場合の補償」を求めたが、それは叶わない。しかも「それでもしなくてはならないんですよ」とまで言われた。なので、訪問介護事業者連絡会としては協力はしない旨を伝え、仕事については各事業所個別に当たるようはなして交渉は終わった。
ストライキという話というにはちょっと違うかもしれないが、団体交渉としてはこういうことだろうと、広く解釈してもらえたら良いと思う。
それで記事の内容に戻るが、そもそも医療や介護職にストライキというのはそぐわない。
ストライキというのは、そのサービスを受ける人にも何らかの痛みや不利益を伴うものだし、さらには会社も損害を被る。「介護業界のため」自社の利益を削ってまで組合員を応援する会社がどのくらいあるのか、はなはだ疑問である。
それにすべての利用者に対してサービス停止を求めるものではないということ。
それは政治行政から見れば、介護事業所は必要なことはやるし、ストライキを受け入れる人はそれだけのものという介護報酬や支給限度額削減の根拠にもなりかねないということだ。ついでにストライキを行ったから介護報酬が上がるとは限らない。前回の訪問介護のように、何らかの理由をつけられて、報酬が減らされるということも十分に考えられるのだ。
申し訳ないが、そこまで考えての行動とは思えないんだ。
(3)結局は「力」
その訪問介護事業者連絡会の役員をしていた時に、とある議員と話した内容が腑に落ちている。
それは結局のところ、「圧力団体」であり、議員をうまく使えるかということ。
議員をうまく使うということは、要は票を集められるということだ。
選挙前に議員の演説を聞くと耳障りの良い話しかしない。
「福祉の充実」とかいうけれど、実績を聞いても皆無だろう。
福祉とか介護とか、人権というのは人をよく見させる効果がある。逆に言えば、それを悪く言うことは基本的にできない。
つまり介護というのはその程度の使い勝手ということを、介護側が自覚しなくてはならないというのが私の持論である。
やはり世の中必要なのは「力」だ。票を集める力、団体交渉するだけの圧力。議員は弱いものの味方にはならないというのが現実だ。
そうじゃないという人は、ぜひご自身のやり方で頑張ってみればよい。
所詮、きれいごとであるということが分かる時が来る。
