福祉を志したきっかけとは何でしょうか? | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)高齢者は特別な存在ではない。

昨日と同じ記事だが、高校生が特別養護老人ホームに見学に行くものがあったので載せてみた。

 

私が思うのは、高齢者というのは決して特別な存在ではないという事。一人の人間であるという事。話していて楽しい人もいれば、そうでない人もいるという、普通の事だと思う。ましてや敵ではない。

 

それが昔は複合家族で日常的におじいちゃん、おばあちゃnがいたが、今は核家族化でたまに会う人であり、会うときは緊張したり気を使ったりと、会わなければそれで特に日常的には問題もない人、と言う位なものであろうというのは一般的だろうと思う。

 

それに嫁姑という関係で、お母さんも義母に会いたがらない。そういう分断が孫にも及んでいるという事も指摘しなければならない事だろうと思う。

 

(2)私が福祉を志した話

さて、久しぶりに私事を話そうと思う。

私が何故、福祉の道を志そうと思ったのか。それは自分が死にたいと思った時に希望を与えてくれた人がいたからだ。

このブログでも何度か書いたかと思うが、私の両親はよく言えば教育熱心な人だった。私の世代では珍しく、小学4年生から塾に行っていた。それは私立中学に入るというミッションがあったからだ。しかしそのミッションが達成できずに公立中学に入らざるを得なかった。そうすると、名門高校への進学がミッションになった。今も思うが、子供の頃に達成感が無いとか、目標に届かなかった場合、それをケアしないと「どうせ次もダメだろう」と思ってしまうと思うし、現実に私はそうだった。生きる事すら辛かった。そんな時に出会った人が希望を与えてくれた。自分はその時に福祉の道に行こうと思った。

 

大学を卒業する時、私は児童関係の仕事を希望したが、それも叶わず、結局は老人病院に就職した。その後、老人ホーム、一般企業での営業職を経て、独立開業した。

 

つまり、希望とは違う、何となく時代に流されて行き着いた先で仕事をしていたにすぎないのだ。

 

それでも高齢者の仕事に意義を見出すようになったのは、歴史を勉強したからだと思う。もともと好きだったが、おそらくもっと学ぼうとしたのは東日本大震災がきっかけだったと思う。

 

その時の日本人の振る舞いが世界で賞賛された。

先程、生きる事すら辛かったと書いたが、それは実は今も変わっていない。そして自分には自信がなかった。

それでもこの国を命がけで守ってきた人がいるという事を学んだ時に、自分の中で何か熱いものがこみ上げてきたのを覚えている。

 

そういう気持ちを持った時に、その必死にこの国を守ろうとした人がいた時代を生きてきた高齢者は何を思って生きてきたのか思うようになった。

 

そして思ったことは、時代と共に生活様式は違えど、20代なら20代の考えを、30代なら30代の考えをもって、我々と同じように生きてきたという事だった。

 

50代を半ばすぎた自分も、10代、20代の時はあった。あの時こうすれば良かったとか思う時があるのと同じように、今の10代、20代の人も同じような気持ちで生きているし、形は違えど、同じような失敗をしている。

 

それを経験から話すときもあるが、おそらく彼らは聞く耳を持たない。なので経験して初めて人のいう事を聞くようになるというのも、おそらく歴史は繰り返すという事だろう。

 

そういう立ち位置にいると、自分も力を抜いて高齢者と接する事が出来るようになったと思う。

 

(3)真の福祉国家とは

昨日のブログでは、国の考えを批判した。ハッキリ言えば、ガタガタ言うのであれば、自分たちが転職してやればいいじゃんと思う派である。

 

しかし、福祉を志す人は何かのきっかけがあるはずだ。それはポジティブでもネガティブでも良い。大切なのは、そういう「人の為に」頑張る仕事を評価する仕組みなのだろうと思う。

 

財政的な観点から見れば、福祉の世界というのはいくらお金をかけてもキリが無い。従って今できる財源で行うしかない。介護保険法も、万能ではない。それでも支えてきたのは介護職員の献身的な仕事への取り組みがあればこそだと思う。

 

人との仕事だから嫌な事も沢山ある。そうした事をクリアする取り組みは個人でも会社でも、自治体でも必要で、そこが不十分だから介護職が避けられる一面もあるだろう。

 

人が福祉を目指す志と、安心して働ける取り組みが万全と一致した時に初めて福祉国家と言えるのではないだろうか。