これは事実。老人ホームとはこういう所 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)今は昔の話だが

私が老人ホームに勤めていたころの話だが、記事のような話は当たり前にあった。私は生活指導員(今は生活相談員と呼ぶらしい)として働いていたが、寮母(介護職員)との確執は当たり前のようにあった。今でも思うが、随分働きにくい職場だったし、黒歴史と言えば黒歴史だが、今こうして書くネタになっていると思えば、それもありかと最近では思う。

 

私が老人ホームに勤めていたのは平成8年くらいだったかな。知人の紹介で就職したのだが、最初に面接に行った時の雰囲気の悪い事と言ったら酷かった。「こんにちは」とあいさつしても誰も反応しない。これは私が就職して、一番奥の席に座っていたがお客さんが来ても誰も反応せず、私が応じていたからその接客態度はその程度のものだっただろう。

 

仕事と言えば私が感じていたのは、管理業務という位置づけが強い所だったと思う。例えば就寝の時間に全館放送で就寝のお知らせをする。その後に各部屋を回って「おやすみなさい」と言って回る。老人ホームは生活をする場、つまり家としての機能が求められていたが、そもそも寝る前に全館放送する家があるかという根本的に違う。また入所者はほぼ100%金銭を預かる。週に一度銀行が来るので、そこで出金をする。これも今の時代は否定されるべきものだろう。しかし施設内で金銭も貸し借りが行われ、場合によっては女性が胸を触らせてお金を稼いでいる人もいたという。そういうことを放置はできないだろうから、金銭を強制的に預かって必要に応じて小遣いを渡すという事もしょうがないと言えばしょうがないが、これも家での生活とは違うだろう。

 

(2)片目つぶって面接し、両目つぶって採用し

老人ホームという所で働く事は今でこそ専門職としての位置づけであったが、昔はそんな事もなく、家でやっている掃除をやってくれればよいから、という程度の仕事だったという。養護老人ホームという事もあったと思うが、介護は殆ど無く、身体介護が必要な人は必要に応じて行っていたという感じだったかな。

 

なので、介護というのが注目されてきたとはいえ、資格をとる意欲も乏しく、定年まであと何年という人も多かった。そもそも計画を作ること自体も面倒がっていたし、そんな人たちの集まりだった。

 

しかし就職希望者は物凄く多かった。それは不況という事、これから始まる介護保険制度への期待という二つの要素があった。

今では考えられないが、「福祉就職フェア」では求職者が溢れ、会場に入りきらないほどだった。大学卒の人が、月収手取り10万円程度の不認可作業所に申し込むほどだった。我が施設でも面接を行っていたが、毎回20人は下らなかっただろうと思う。

 

とはいえ、それで良くなるほど現実は甘くない。素直な子ほど、入ってから毒される事も多かった。

 

だから介護保険制度で民間企業が参入すると聞いた時は、明らかに職員が良くなると思っていた。

 

果たして最初の頃は良かったのだろうと思う。

所が景気が良くなり、コムスンショックが出たあたりから雲行きは怪しくなる。「介護はやめろ」が当然となり、事業の縮小・廃止も相次いだ。

 

それで残っている施設はと言えば、とにかく社会人としてもどうにもならないのも多いと聞く。「片目つぶって面接し、両目つぶって採用し」という職員しか今は集まらない。それが現実のようだ。

 

(3)不人気職種だからこそ

この状況をどう改善するか、はおそらく不可能だろうと思う。

よく研修で、とか言われるが教育して改善するならとっくになっている。

 

しかし、こういう状況を作り出したのも自然な形だったんだろうと思う。今までの福祉の歴史を振り返ってもなるべくしてなったという他は無い。

 

こういう施設に入ってしまったら不幸だろうが、それを作り上げたのは当の日本国民だという事であることは忘れてはならないだろう。

 

人生の最後を乞ういう所で過ごすのは残念だがしょうがないと諦める他はない。