介護を学んでほしい高齢者 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)今の介護は近所の井戸端会議レベル

介護保険というのは本当に流動的な制度だと思う。

初めは介護の社会化と言って、親の面倒をみれなくなってきたのを社会全体で面倒をみようという理念で制度が始まったが、財政難なのか給付制限が行われ、介護だけに頼る状況ではなくなった。いつの間にか「家族も出来ることは家族で」というようになっていった。

 

それに介護というものは何をしてくれるのか、それを受けることにより自分はどういう利益をもたらすのか、という事をそもそも知らない。せいぜい知っているとすれば、近所の誰誰さんのところはどこどこのデイサービスに行っていて、という近所の話題位。あそこの家がああだたから、家もそれで、という四方山話のレベルだろう。それでも知らないよりは良いが。

 

(2)介護=ケアプランではない

介護保険が始まって四半世紀。この仕事をしてきたから知ることではあるかもしれないが、年を取って身体が動かなくなり、死へ向かう恐怖と戦いながら生きている高齢者に対し、その気持ちに寄り添い、心地よい生活環境を整備することは出来る。それがケアマネである。だから最初の面接で利用者や家族の意向を聞き取り、それに沿ったケアプランを作成し、介護サービスを提供する。

 

大事な事は介護=ケアプランではないという事だ。

 

そしてそれはケアマネから「与えられる」ものでは無いという事だ。

 

しかしこのようになっているのは、高齢者がこれからどうすればいいのか分からないという事、そして死への恐怖は出来るだけ考えたくないという事でもあるようだ。

 

つまりそういう事についての向かい合い方は宗教的なものであるかもしれないので、無宗教の人が多い日本人には、年を取る=身体が動かなくなるという事が悪いような、若い人にとって悪になるような存在になるという事につながっていくのかもしれない。

 

(3)介護というのは生き方を学ぶ事

私は介護の仕事をしている中で学んだのは、生き方死に方という事であると思う。

 

そして、人の生き様という事である。

 

別に自分の半生記を残せという事ではない。

しかし、子供の頃に伝記などを読んで、この人すごいなと思った記憶はある。

つまり人がこれから生きていくというのは、憧れとか、生きていくって素晴らしい事なんだという希望である。

 

今の歴史教育は出来事の羅列であり、興味を持たない人は全く面白くないだろう。しかし人物本位の教育であれば、その人がその時代に何を考え行動して、結果どのような社会が作らて行ったか、という事まで分かれば、それは違うものになる。私の場合はそれが大河ドラマだったが、人の生き様を学んだという点では、その後の歴史を勉強する上でも良かったと思っている。

 

介護というのも、そういう関わってきた人の例を出すことは多い。つまり高齢者は

介護する側にとって「無名のヒーロー」であり、学ぶべき歴史教育なのだ。

 

なので、高齢者には我々若い人の見本になるような生き様を見せて欲しいものだと思う。