(1)そもそも生き甲斐を感じているか
介護というものに直面した時、何をどのように誰に相談してよいか分からないものだと思う。相談したところでどうなるものでも無いし、と思われてもそれは当然だ。
なぜなら身体が弱くなって、思うように動けなくなった時に、自分も家族も何を目指して行けば良いかという事すら分からないのが当たり前だ。
そもそも元気なうちに何を目標に生きているか、という事を意識して生活している人は多くはないだろう。子供がいればその成長を楽しみに、という事はあろうが、こと自分のことになると毎日を生き抜くことに精一杯。ましてや親の事など気が回らないというのが現状だ。
老いは必ず来る。
そして自分の体が不自由になった時、あれやこれややらなければならない事や出来たらいいなと思う事が頭をよぎる。
その時に「もう年だから」と諦めてしまう事も多いだろう。しかしちょっと手助けすればできるという事も少なからずある。それが自立支援でもあり、介護の目指す所でもあるのだ。
(2)人として生きていく
介護の勉強そしていると「生き甲斐」という言葉をよく耳にする。一般の人だってそんなに気にしていないのに、高齢者にいきなり聞いても答えられないというのは当然なのだ。さらに介護予防のチェックリストでは「自分が役に立つ人間にだと思えない」などの質問項目もある。
もし自分がそうなったら、間違いなく「自分は役に立つ人間だと思えない」と答えるだろう。おそらくそれは今の自己評価と変わらない、つまり今の自分でも役に立っているとは思っていないのだ。
なので、もし私が要介護になったら最低限の事しか頼まないだろうと思う。それでも介護保険の範囲外の事は出て来る可能性はある。例えば入退院の手続きや送迎など。そう考えればある程度の所で施設に入るという事にするだろうとも思うけど。
人として生きていくというのは人として死んでいくという事でもある。
認知症になって暴れたらごめんなさいだが、出来るだけ人に迷惑をかけずに死んでいきたいものだと思っている。
(3)とりあえず相談してください、という事
どのケアマネでもそうだと思うが、出来ることと出来ない事はある。出来ない事でもお金をかければできることもある。私は出来るだけだが、「~すれば出来ますよ」という言い方をするようにしている。
逆に今のままでは危険な事も正直に言う。緊急事態が起きた時に「それ見た事か」とは言いたくないのだ。
しかし、それも信頼関係の上に成り立つ提案なのだろうと思う。
自分が介護状態になった時に信頼できるケアマネに出会えるか、それは運次第かもしれない。
