(1)弱い所には付け入るスキがある。
そりゃ、一度握った利権は手放すわけがない。
しかもケアマネ研修はケアマネが「ケアマネの更新をしたいので、お金を払ってでも研修を受けさせて頂く」ものなので、立場は圧倒的に有利。例えケアマネ側にどんな事情があろうとも、「休んだら最初からやり直しですよ」と脅せば一言で済む。こんなチョロい話はない。
おそらくこの研修をしている人たちはケアマネがどう思おうが、どうでも良いと思っている。
こんなおいしい仕事なら私だってやりたい。
今、サービス情報公表制度というのがあり、事業者の情報を見ることが出来るシステムがある。ケアマネとしては全く参考にならないものなので見た事も無いが、自分の会社の分は自分でシステムに入力するようになっている。
このシステムは今は無料だが、かつては数万円も事業所が負担して、支払わないと役所に通報するといった脅しの文書が届くというとんでもないものだった。実際に調査員が来て話をするのだが、これも全くバカバカしいシステムだった。
これは相当の反発があり数年で自分で打ち込むスタイルに変わったが、こういう所でも介護事業者と言うのはスキを突かれる。
(2)ケアマネの質って何ですか
ケアマネの側はどうか。
研修を含めて、勉強を厭うものではない。
知識がついたり仕事の関係での知り合いが増えたりすることは良い事。その中で仲間が増えればもっと良い。
しかし研修の内容はとてつもなくバカらしい。
存在すら疑わしいケースの事例検討、訳の分からない分析、こういうことをやって何の役に立つんだというものばかり。
それでいて「ケアマネの質」がどうとか言う。
だからまずその「ケアマネの質」とやらが何なのか?という事を徹底的に、かつ具体的に示してもらいたいものだ。
国はケアマネや事業所をどのように導きたいのか。
国が望むケアマネ像はどのようなものか。
そういう事を明文化する必要があるのではないかな。
(3)もうすぐ私の戦いは終わる
振り返ってみれば、私の介護の向き合い方は現場だけではなく、対行政・政治という面も多かった。
立場によっては区議会議員の半分ほどは面識があったし、意見交換を頻繁にした時期もあった。
それが国会まで持ち上がったということは無かったが、その活動は無意味では無かったと思う。
では現場の人はその時どうだったか。
仲間内ではあれこれ言うのに、じゃ、議員を連れてきましょうとなると途端に話さなくなる。
更にひどいのは「現場は忙しいんだから、そういう面倒な事は経営者がやるべきだ」と言ってはばからない人もいる。つまり人任せなのだ。
現場もそうやって文句ばっかり言っているだけでは何も動かない。しかし動くには面倒くさい。その内にバカバカしい事を勝手に決められて、また文句だけ言う。
要するに付け入るスキが沢山あったという事だ。
一致団結する事もなく、ただ敗れるのみなんだろうと思う。
おそらく、今回も勝てない。
更新研修は続き、費用負担も続く。
そうしてイライラや諦めが募ったケアマネをはじめとした介護職員にさせられる老後が、国民に待っているという事だ。
それはそれでいいんじゃないかな。