奪うのが恋、与えるのが愛 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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(1)恋と愛の違い

私の好きな歌で「恋愛症候群」(さだまさし)がある。その一節を紹介する。

 

「相手に求め続けてゆくのが恋 奪うのが恋

与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛

だからありったけの想いをあなたに投げ続けられたら 

それだけでいい」

 

今、若い人の非婚が進んでいるという。

それだけではなく、恋人がほしいと思わない人も増えているらしい。一見、男女ともに独立・自立して一人で生きていく覚悟が出来た上での話かと思いきや、そうでもないらしい。単純に面倒くさいとか自分の時間を奪われたくないとか、自分軸の話のようである。

 

(2)奪うのが恋

それ自体は分からなくもない。

それに恋人がほしいというのはおそらく自分にとってメリットがあるからという面が強いだろう。

 

当たり前である。デメリットのある人と誰が付き合いたいと思うものか。

 

例えば、顔が良い、性格が優しい、稼ぎがある、付き合っていて楽であるなど、その理由を挙げればキリがない。好きな理由はいくつあってもいいし、多いに越したことは無い。

 

要するに自分が満足するかどうかなのである。

 

それは今に始まった事では無い。昔だって「高学歴・高身長・高収入」の三高が良いと言われたのは40年くらい前だし、それが先鋭化・言語化されたのが最近。それに「言うだけ言ってみる」「言ってみなきゃ分からない」という人を試すような風潮や、「自分の望む人を紹介するのが結婚紹介所の仕事でしょ」といわれなきプロ意識を求められるというものが加わり、YOU TUBEでも見る婚活の女子はとんでもないように見える。

 

(3)与えるのが愛

愛とは何ぞや?という事になると、「無償の愛」とか「アガペー」という言葉を思い浮かべる人もいるだろうと思う。

これは単純に男女が結婚する云々だけでなく、人類愛とかそこまでスケールが大きな話まで発展するから、例えば学校の倫理の授業で学んだという人は身近なものと思わない人も多いだろう。

 

でも要は相手が自分を大事にしてくれているか、それが真心から来ているかという事だろうと思う。

 

どんなに優しくて耳障りの良いことを言っても、結局それは相手がそうすることによって自分の得になるという事が見透かされた時には愛を感じない。自分から奪うものと思ってしまうだろう。

 

(4)要するに

人を好きになると、その人の事を思い起こさない時は無い。今何をしているんだろうという気持ちも持つ。最初はそれで良い。でもその内にその人の為になりたいという気持ちも出て来るだろう。そうやってその人に尽くすという事が真心で出てくればそれは愛だろうと思うのだ。

 

この記事の内容も、そういう愛に包まれていたのだろう。

どちらが先という事でもない。

おそらく最初は自分のできる範囲で、という事であったと思う。それがどんどん大きくなって、大きな愛に育っていったのだと思う。

 

愛は育むものだ。最初から与えられるものではない。

 

結果を見ればステキな事だが、そこに至るまでは色々あった事と思う。でも色々あった事の上にこのようなステキな話があるのだという事は事実である。