怒られるうちが花 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)怒るという事

当たり前だけど、誰も怒られたくないだろう。かく言う私も子供の頃から怒られ続けて生きてきたが、決して気持ちの良いものではない。そして組織のリーダーになったり、会社を経営する立場になれば、部下を怒る場面も当然出て来る。

 

怒るという事はどういうことか。

一つはやるべきことをやっていないから注意するという事から派生するもの。

我が社でも、自分勝手な者はいた。やるべきことをしないのに権利だけ主張する。そういう者には怒る。

しかしこれは怒るというより、だらしない人間を窘(たしな)めると言ったほうが良いかもしれない。

 

もっとタチが悪いのは、だらしないのにそのだらしなさを正当化する奴だ。

 

故野村監督は人を「真面目・不真面目、優等生・劣等生」を組み合わせた4つのパターンで分析すると本で読んだことがある。

 

つまりだらしないのにそれを正当化する奴は「不真面目な劣等生」であり、そういうのは組織にいても害になるだけであるので、はやく別の道を進むようにさせるという事である。

 

ただこれは指導する側がしっかりとした基準だったり存在感を示さないと意味がないかもしれない。

 

(2)怒られた時に

怒られたくないと思えば、その先にどういう行動になるかという事が問題である。

 

一つは怒られないように頑張る事。

例えば営業でも頑張って成績を上げる事。怒る側が怒る事が出来ないくらい上に行くことが必要で、これが出来れば一番良い。そこまで行かなくても、そこそこ頑張れば存在感としては十分。

 

二つ目は環境を変える事。

指導されるされないに関わらず、怒られ続ける環境と言いうのはその人にとって良い環境とは言えない。おそらくその場面においてはセンスが無いのであろう。やりたい事よりもできる事を考えて環境を変えるというのも方法である。

怒れて続けるという所に焦点が当てられているが、怒り続けるというのも大変である。お互いの為に環境を変えるというのは選択肢の一つとしてあって良い。

 

(3)怒られない環境?

会社にいると、色々な営業を受ける。

業界の営業であれば、そんなに変な事を言う(頭が悪いというのは除く)人はいないが、別の業種、例えば電話営業などは二つのパターンに分かれることが多い。これは若いとか若くないとか関係ない。

 

一つは何でもかんでも「ありがとうございます」から入るトークマニュアルというか、セオリーしかないもの。

そしてもう一つはやっつけ仕事みたいなもの。

 

とにかく愛想も何もあったもんじゃない。言いたい事だけ言って電話したという事実だけを積み上げる。

 

このいずれもやる事をやっているのだから怒られる筋合いはない。しかし結果は出ないだろうと思う。電話営業だからこちらも迷惑電話登録してかかってこないようにしているが、その内にそういう人は辞めてしまうだろうと思う。

 

(4)見放されたら何も言われなくなる。

怒る側も怒られる側も、一部を除いてはネガティブな感情でしているわけではないと思う。その意図を汲まず、怒られたからパワハラだとか言うのはおかしな話だと思う。

 

怒られるというのは決して気分が良いものではないが、自分の成長に必要なものであったことは間違いない。大人になる過程で上手くいかずモヤモヤして、そのうっぷんが爆発するのが反抗期と言える。そして大人が力で抑えて来たりで、そのせめぎあいの中で成長していくものだが、社会人になって年を追うごとに怒ってくれる人は段々と少なくなってくる。

 

人間、そんなにセンスがあるものではない。間違いもある。上手くいかない事をそのままにしてしまう事がある。しかしそれを指摘し、怒りながらも指導してくれる人は「こうすれば良いんだ」と自信をつけるきっかけになる。

 

自分の悪い所を指摘されるのは辛い事だが、それを素直に聞き入れるかどうかで人の器は変わる。ついでに言えば怒られるうちが花なのだ。

 

そう、怒られなくなったというのは自分が怒られないで済むくらい成長したという事ではなく、単純に見捨てられたと思って間違いない。