(1)様々な分野で行われる民営化
以前、公務員だった福祉職が段々と民間になっている。
高齢者福祉分野は勿論、保育園や児童館といった児童福祉分野も民間で行うようになった。
違う分野ではJRや郵便局などが民営化され、それだけの規模になれば社会のテーマにもなった事だろうが、福祉分野での民間活用はニュースになったことを見たことは無い。
(2)民間活力は必要だった。
私は介護保険以前の制度の頃からこの業界で働いている。
戦後、焼きだされた子供は保育園、高齢者は養老院というように保護の目的で施設は存在した。
それが時代を追うごとに人権意識も高まり、そこでの生活の充実、つまりQOLを求めるようにもなった。
費用面では今でも一部の施設はそうだが、利用者・家族の応能負担であり、介助の量に関わらず国が示す費用を支払う事であった。
そして施設側だが、高齢者の入所施設である当別養護老人ホームや養護老人ホームは定員が一杯で、入所するまでそれなりの日数がかかる。つまりお客さんは待っている。
集客をしなくて良い業界、しかも費用は一律で支払われるという所、これほど経営が楽な所もないだろう。
さらに言えば養老院時代を引きづっている古い施設の介護職員は、家でやる掃除をやればよいくらいに思っていた。それが時代を追うごとに仕事も増え、資格を取るために勉強しなくてはいけなくなり、となっていった。
以前の福祉施設はそんな状態で営まれていた。
だからやる気のない職員というより、そこまで能力が無い職員が多く、当然、そんな施設の雰囲気は収容所であり、利用者=お客さんという意識は無かったように思う。
(3)介護保険制度になって
2000年に介護保険制度ができ、在宅福祉を柱にした事業がスタートした。以前に比べ、介護職員も明るく、お客さん意識は出てきたように思う。我が社にも営業に来る人はお客様意識をもって来る。そうでなければ紹介などするはずがない。
それが一番欠けていたのは訪問看護。それでも事業所数の増加に伴い、意識が出てきたように最近は思うが。
例えそれだけの理由であっても、意識があるのとないのは違う。以前の形であれば、例え評判が悪くてもそこに行かなければならない。
つまり「お客様」という意識が無かったのが以前の制度の欠陥である。今でもたまに介護職員から入所者に対する暴力事件などが取り沙汰されるが、「お客様意識」というのがあってもこのようなことは起こる。
公務員化するというのは、そこに戻るんですか?という話になる。
しかし、ここまで介護職が人気が無く存続の危機に陥れば、そうならざるを得ないかもしれない。
公務員は人がなりたがらない公共の仕事をするのが一つの目的である。介護がそこに行くのか?というのは注目しても良いかもしれない。