(1)ケアマネが仕事に見切りをつけるという事
そもそもなぜケアマネを辞めようと思ったか?という根本的議論が無い。ついでに言えば復職しようと思う人は放っておいてもその方法を探して実行する。その仕事をやりたいんだから当然だ。
いま議論すべきは「ケアマネ離れ」である。
なぜ辞めるのか、辞めてしまったのかを真正面から向き合わないといけない。
しかしそれは記事に出来ないなようなのかもしれない。なぜなら介護職がこんなにも魅力が無く、嫌がられるという事は、高齢者がそれだけお荷物のような存在であること、制度設計する役人や議員たちの「聞かない力」をあからさまにすることにもなるからだ。
つまりこれは介護保険制度の失敗と受け取られかねない。
(2)ケアマネの立場から考える「やりたくない理由」
まずケアマネの資格を取るのに最低5年間の実務経験が必要になる。という事は会社としてはやはりベテランとしての役割を期待するし、ケアマネという性質上、自社サービスへの呼び込み、つまり営業を期待する。
そもそもそれは法の意図とは違うという事ではあるが、それでは自社サービスに5人しか呼び込まないケアマネと、10人呼び込むケアマネではどちらが会社への貢献という点で評価が高いのかは自明の理である。
職種の精神など営利法人には関係ない。
それに自社サービスを多く使った方が社員にも還元できる。
営利法人というのはそういう仕組みである。
しかしケアマネは「自社の利益よりも利用者の利益」という事を都合よく解釈する。しかし自社には権利を主張する。それでは元も子もない。
自社にいながら他社を儲けさせるようなことは、自社にとってはお荷物にしかならない。
その圧力はケアマネを震え上がらせるのは十分である。
(3)制度の矛盾
それと運営基準自体に問題はないだろうか。
当初からケアマネの利用者の囲い込みというのは問題になっており、今は同一事業所には80%までしか紹介できない仕組みになっている。
しかしケアマネを信用するならば、多く紹介している方が信用できる。誰が好き好んでどうなるか分からない所に紹介するだろうか、という事である。
しかし80%を越えれば減算の対象になる。
勿論、抜け道はいくつかあるが、制度に矛盾はないか、それが本当に利用者に不利益を被らせているかは、事業所の立場からも検討の余地はあるはずだ。
そんな矛盾を抱えていればやはりケアマネもやる気をなくす。
頑張って問題ケースをこなしながらも、書類一つで仕事に対する報酬が無くなるのであれば、こんな危なっかしい仕事は出来ないと考えるのも当然だろう。
さらには「シャドーワーク」と言えば聞こえは良いが、単なる便利屋として使われる事である。
職種として期待をしているとはよく言われるが、その実態はただで何でもやってくれる人、なのである。
(4)明後日の方向を向くな
こういう審議会はそういう話は出て来ないのだろうか。
ケアマネという職種を含めて、介護職が見切りをつけているという現実をどう思っているのだろうか。
おそらくこういう会議に出ている人は介護の仕事をするわけでもないから何とも思っていないのだろう。
まあ、こういう事を毎度書いているわけで、こちらとしても飽き飽きしているのだが、こういうのを「絵にかいた餅」というのだろう。
