(1)あの時代に戻りたいか、という問いには
「己が名を ほのかに呼びて 涙せし 十四の春に かへる術なし」(石川啄木)
この歌を詠んでどう思うだろうか。
人によっては大人になって社会にもまれるうちに荒んでいく自分を感じ、ふと14歳の頃を思い出すと捉える人もいるだろう。また啄木の人生を鑑みると、14歳の春に戻るに値しない人間になってしまったと嘆く歌と捉える人もいるだろう。
自分の人生を振り返りこの歌を目の当たりにすると、私は14歳の春には絶対に戻りたくないという気持ちである。というより今の時間が自分の人生で一番良いと思う。
コロナ禍を機に、必要ないと思われる人間関係は全部切った。
必要と思われる人間であるならば引き止められたり、それに類するアクションがあっただろうがそういうものは一切なかった。人はいなくなってその存在の大きさを知るという。自分がいなくなってもそういう事は聞いたことが無いという事は、自分という人間はそこまでの人間だったという事だ。
そういう裸の自分というか、素の自分いると事、好かれる場合もあれが嫌われることもあるという事を受け入れるという事は人生の重りが取れたような考えである。その考え方に至るまで50年かかったという事だ。
(2)父親の事をボロクソに言う
私の親、特に父親は私を支配する事しか考えていなかったと思う。自分が年を取って身体が動かなくなった時に威張れる人間を作ることが彼の人生の命題だったのではないかと思う程である。
何か事あるたびに「お前は何も出来ないんだから、黙って親のいう事を聞いていればいいんだ!」と怒鳴られた。
自分のやりたいことすべてを否定されたと言っても良い。勿論、やりたい事をやっていたら、そこで嫌な事も沢山あっただろう。しかしそれを乗り越える努力もせず、人の輪から外れた人生を送った。
今振り返れば、それはそれで失敗の少ない人生だったかもしれないが。
特に思うのが学歴。
「公立に通うと大変だぞ」と脅され、その強迫観念から中学受験するも失敗。どんな地獄が待っているかと思いきや、それなりの地獄。高校も地獄とまでは言わないけど、面白くもない。
学歴で良かったと思ったのは大学だけだ。
それでもそれはエリートの通う学校ではない。
有名でもない地方大学だ。
親の干渉をされずにのびのび出来たからだろうと思う。
それに人の温かさを感じられたから。
大学を卒業して30年経つが、年賀状のやり取り程度にはなってしまったが未だに交流があるのもそのおかげだ。
もう一つ言うと、父親は私の結婚式に行きたくなかったようだ。
自営をしており、一日休むと3万円くらい違うというのが理由だった。私は別に来なくても良いと思っていた。
だってそんな親だから。
それでも母親から説得されたのだろう。しぶしぶ来て挨拶していったな。
(3)親に気持ちになった同級生は
年を取り同窓会なんかあると、親になった人は子育ての苦労を感じ、自分の親に嫌な気持ちはあったとしてもその気持ちが理解できる場面があった人もいるだろう。
子どもの時はそれなりに反抗期があり、親をボロカスに思う時だってあっただろう。そんな人から見ればどの親も大なり小なり同じで、私に説教してくるやつもいた。
それが良いとも悪いとも思わない。人の受けた痛みは所詮他人には分からないし、調子のよい事を言ってんな、程度の感覚でしか今はない。
(4)今を生きる
もう親が亡くなって8年経つ。
実は父親の墓の場所を知らない。
ブログでこれだけのことを書いたことは、聞いた人からすれば親不孝と思うだろう。
私は親よりも長生きしたことが最大の親孝行だとおもうが、精神的には若くして親に殺されたと思っている。
それ以降は何となく生きており、たまに良いことがあれば嬉しいとか。
あとどのくらい生きるか分からないけど、やり直したい時などないし、このまま何となく生きていく。
親が残してくれた財産はあるのでその資産運用で生きているようなものだが、この記事のように痛みを受けた人たちが私のように経済的に心配なく生きているかは分からない。
逆に、そういう親でも反面教師にして前向きに生きているという人もいると思う。
私の考えは共感しないでほしい。
こんな思いをして生き続けているのは、私だけで十分だと思う。