(1)認知症に対する一つの方法
フランスに「アルツハイマー村」と言うのがあるらしい。
東京ドームと同じくらいの広さに120名が住んでいる。ちなみにスタッフは120名プラスボランティア120名。費用は日本円で約28万円。(軽減措置有)
ここでは「介護のしやすさ」よりも「利用者が自由に暮らせるための努力」を行っており、例えば「徘徊」も「散歩」と捉える。食事も特に時間や場所を決めず。施設内の安全は徹底されており、車や自転車は入れない・・・などなど。
まあ、それだけ聞けば「将来、こういう所に入りたい!日本の福祉は遅れている!」と憤る人も出て来るだろう。
この記事を読んでの感想は、まあ、やろうと思えば日本でもそれなりに出来るんじゃないですか?という事。
実際に30年くらい前にそういう構想を聞いたこともあるし。
(2)介護からの視点
今現在、ケアマネの立場から考えても良いだろう。
まず、ケアプランなんかいらない。
もし作るとなっても「安全に生活できる」「健康を維持する」「体力を維持する」とか、テンプレでいい。
まあ、トイレくらいはきちんとしないといけないだろうけど。
要するに「管理の仕方」の違いという事なのだろうと思う。
人を預かる立場で考えれば、他人に迷惑をかけないという管理になる。一方、他人には迷惑をかけるものだという入り口から考えれば、その上で他人と共生するかという管理というか統治と言うか、そういう形になる。
(3)この事業を日本で成功させるために
これを日本でやるとなると、人員の確保云々は置いておいて、注目はされるだろうと思う。
しかし、何かあった場合のマネジメントをきちんとする事だ。
さらに、日本における老人ホームは「姥捨て山」の印象はぬぐい切れていない。認知症の人を集めるというだけでもそういう「大変な人を一か所に集める」という追いやりみたいなことにならないよう、アピールの仕方、メディアの在り方は注意が必要、という感じかなと思う。
人が行き、死にに行くという過程の中で、どれだけ自由というか、人に強制されない生き方死に方が出来るかという問いでもある。
年を取る、認知症になるという事を恐怖に思うより、むしろ楽しみな生活が待っていると思うような福祉制度でありたい。