(1)身体拘束とリスク管理
以前も書いたような気もするが、高齢者に身体拘束というのは昔からあったし、今でもあり得ることである。
認知症という症状があるか無いかはさておき、身体の不自由になった高齢者がゆっくりと信号を渡っている姿を見るとヒヤヒヤする。車を運転している人も気分は悪いだろう。中には荒っぽい運転をする人がスピードを緩めずにクラクションを鳴らして突っ込んでくるという事もあり得るのだ。
それは運転手の責任云々はあるだろうが、まずは自分の身を自分で守るという最低限のリスク管理は必要だと思う。
(2)身体拘束、今も昔も
その上で身体拘束というものを考えるが、私が最初に勤めた病院ではつなぎを着せられる高齢者が多かった。それは「便こね」と言って、おむつの中にした便をこねくり回すという事があるのだ。当たり前だがおむつをしてその中に用を足せば気持ちが悪い。それを何とかしようとする行為だろうが、それは職員にすれば不潔行為になる。
また、皮膚疾患のある人は体中搔きむしってしまうので、ベッド柵に縛られる人も多かった。
今はさすがにここまでは無いだろうが、ほんの30年くらい前の話である。
私がケアマネになって、ほぼ歩けない高齢者がいたが、火事場のバカ力が働くのだろう、ベッド柵をよじ登り、家の外まで出てしまう人がいた。
この時はベッド柵を四方に囲み、家の鍵も中からは空けられないものにしたが、これは明らかに身体拘束である。
つまり手順を踏んで実行した。
(3)最後のあがきかもしれない
もし自分が体が動かないにもかかわらず、体のあちこちがいたいとか痒いとなった時、おむつをして中が気持ち悪いのに替えてくれないとなったら、私でもこれらの行為は行うだろうと思う。
認知症になったらという仮定の話は難しいが、いわゆる「靄の中の終章」の状態では、自分が今どこにいるのかも分からない。靄の中を彷徨うように、外に出てしまうかもしれない。
つまり逃げたいとか、何とかしたいという気持ちの表れなんだろうと思う。
そんな時、どういう状況になっても周りに委ねようとなるのかな。自分の意思が通らない時に、全てを人に依存するとなったら、やはり悲しいような気もする。そしてそれはいつか必ず来る。