(1)選挙の討論は粗探しではない
7/7投開票の東京都知事選挙。
自分が都知事になったら東京がどうなるのか、という未来の話よりも学歴詐称とか、二重国籍だとか、はたまた国政政党の裏金問題とか外野の話ばかり。
おそらく現職が勝つ。
多くの人がそう思っているだろう。
現職の学歴を不問にするわけではない。
しかしこんな議論は不毛と思うのだ。
それに都民はそんなに変化を求めていない。
税金が高いのは気に入らないが、別に何か改革して欲しいと思っているわけではない。今のままでいいのだ。
(2)討論会にみる品の無さ
それとは別に、最近ではこうした討論会みたいなものが見られる。その中でよく聞かれるのが「イエスかノーか」という二択で返事を迫るというものだ。
この問題を整理する。
神宮外苑の再開発計画があり、その事業者は現職のパーティー券を買っているかどうかという質問だ。
そもそもパーティー券の問題が言われているが、これはルールの則ればやってはいけないものではない。それが政治資金になるのが是か非かという問題はあろうが、それは別の話。
だから答えとすれば「イエス」で良いのだが、そうすればパーティー券問題にこじつけてああだこうだという事だってできるし、「ノー」と言えば「嘘だ」の連発で攻めることができる。
それにこのような答えになれば「どうしてイエスかノーかで答えられないのか?」という事になる。いずれにしても質問している側は損な答えなんてどうでもよい。答えに窮している相手を見て楽しんでいるのだ。
(3)相手にしたくない奴
こういうのを「性格の悪い、心無い奴」というのだと思う。言い換えれば「嫌な奴」
それなりに弁の立つ人にその傾向が見られる。
そういう奴は人の話を遮ってまで自分の意見を言おうとする。それをたしなめられると「じゃあ、どうぞ」と薄ら笑いを浮かべながらふんぞり返るというのが定番。
そういう事を「お前、失礼だよ」と注意する人もいない。「親の顔を見てみたい」とでも言おうものなら「パワハラだ!」と騒ぎだす。そんな面倒をしたくないから黙っている。そうすると更につけあがる。
(4)政治はエンタメではない
選挙の政策論争というのは、現状の課題に対し政治的にどのようにアプローチして、結果どうなることが目標だという建設的な議論のはずである。
しかし議論というのは勝つか負けるかというゲーム的な要素もある。
最近の政策論争を聞いていいても、そうしたゲームにしか見えない時が多いように思う。それはエンターテイメントとしては面白いが、本筋の話を聞きたいと思う。