(1)恋人がいることは大人への第一歩
私が中学生や高校生の頃の話、恋人がいるという事は憧れでもあり、周りの先を行く事であり、自分が成長した一つのきっかけのように思っていた。
いうなれば大人になるためのハードルみたいなもので、これは出来れば乗り越えたい。そしてその先にある結婚というものもつながっていくんだという事は当たり前に思っていた。
子供の頃に最初に好きになるのは大体幼馴染という事になるだろう。その「好き」というのも簡単なもので、一緒にいて良ければ好きだし、いじめられたりすれば嫌いくらいなもの。
それが段々、「可愛い」とか「カッコいい」とかになり、性的な欲求になったり。そこから自分の事だけでなく相手の事を思う「愛」になり、というのがセオリーというか理想というか。
そしてそれは人を裏切らない絆になり、その結びつきでこの国は保ってきたといえるのではないかと思う。
(2)恋人という言葉の重み、彼氏彼女というライトな言葉
さて、記事の内容だが、確かに中学高校の頃に仲の良い異性の人が入れば「好きなの?」みたいな会話になるし、「付き合う」というのもからかいの対象になる。場合によっては妬みにもなるし、「明るい男女交際」というのは中々難しい。
それが大学にもなれば、一人暮らしの人もいるし、アパートで飲んだりもして、その結果付き合うとかにもなるチャンスが広がる。
しかしどうも、その恋人の契りというか、そうしたけじめをつけるのが難しいようだ。
それは照れ臭いからなのか、断られたら気まずいとかショックを受けるとかかもしれないけど。
そこで出てきたのが契りは交わさないもの。私の頃の言葉で言えば「友達以上恋人未満」
彼氏彼女の関係というが、やはり恋人という言葉は私の世代(50代)でも重みがあり、その頃からこうしたライトな関係が心地よかったのかもしれない。
確かにこの位の距離感が一番気楽であることは間違いない。
(3)日本の戸籍制度に異を唱える人たち
ただ契りを結ばないから何をしても良いとはならないでほしい。最近は結婚していても他の人と恋愛をしても良いという人がいるみたいだし。それは相手も子供も悲しむだろうと思うのだけど、産んだ親と育ての親が違ってもいいみたいなことを声高に言われちゃうと違和感はある。
今はいわゆるブロックチェーンというのか、日本語で言えば「分散型台帳」。個人情報の管理をしっかりし、それを結びつけるという事だ。
個人情報がしっかりしていれば親が誰でも良いし、育てが誰でも良いという極論のように思うが、やはり歴史を学ばず、効率化というか、「心」を学ばないとそうした考えになるのだろうか。
この国の人は今何を学ぶべきなのだろうかと考えさせられる記事である。