笛吹けど踊らず | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)介護保険の始まりはこんな感じ

介護保険が始まる頃、風俗店を営んでいた人が不動産屋で「明日から看護師を雇って介護をするんだ」という話をしていたと聞いた。当時は超高齢社会を目前に、〇兆円産業だの、これからは介護の時代だのとよく言われていた。

そしてそれまで社会福祉法人が担ってきた事業を営利法人にも拡大し、介護にも競争原理が働くようになった時代の転換、それが介護保険制度の始まりであった。

 

(2)介護保険前の措置制度

介護保険が始まる前は措置制度という制度で、行政措置により福祉事業は行ってきた。例えば老人ホームに入るには役所に行って申請し、役所が指定する老人ホームに入る事のだ。

しかし問題はある。ざっと上げれば以下の通り

 

①選択の自由の制限

そこが嫌だからと断る事も出来るが、そうすると順番が回ってこない。そもそも老人ホームに入るという事は今の環境で生活出来ないという事だから、どちらを優先すべきかという事である。結果、嫌々入所する人がいたことは事実だと思う。

 

②費用の問題(応能負担・受益負担)

さらに施設の収入だが、現在の利用者負担は受益負担で自分が受けたサービスの費用を1~3割利用者の収入に応じて負担するのだが、当時の措置制度であれば応能負担であり、負担できる分は負担してねという制度である。そこにサービス量は関係なく、利用者の収入に応じて利用者負担があった。当然、あの人はお金を払っていないのに職員が目をかけて、私はお金を払っているのに目をかけてもらえないという不満はあった。

 

③職員の問題

また職員も制度で定められた定められた給料であり、頑張っても頑張らなくても給料は上がる。ではどうなるかといえば若い人に仕事を押し付けて仕事をしないベテランは多かった。若い人が呼ばれて走り回っている横で何もしないベテランがいたのも事実だ。

 

(3)介護はオイシイ仕事か?

そうした措置制度は今もいくつかのサービスで無くなってはいないが、超高齢社会を迎えるにあたり2000年に介護保険制度が始まった。

雨後のタケノコのように介護事業所がどんどん立ち上がり、いい加減な気持ちでスタートしたところも多かった。しかし財閥、銀行、商社、外資など大手は手を出さなかった。せいぜい保険会社位なものだろう。大手は介護保険事業をオイシイとは思わなかったのだ。それは今でも続いていて、それなりに収益を上げている所はあるだろうが、社会的に有名な企業ではない。

そして現場はオイシイ思いはしていない。

 

こういう記事はあるだろうが「笛吹けど踊らず」といったところなのだろう。そこまで社会は甘くない。