健全たる精神は健全たる肉体に宿る | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)不安はいつも付きまとう

先日、退職後の生き方について話されたことがある。

その方は女性で、教師をしていた。退職後、やったことのない華道を習い、師範までなったという。その方は70代であるが未だに元気だし周りから見れば羨ましい限りだが、本人としてはこれで良かったのかという疑問符はいまだに付きまとうという。

 

(2)「心」「技」「体」

武道をはじめ、スポーツの世界では「心技体」とよくいわれる。ではどこから鍛えるかという話になれば、いきなり「心」を学ぶのは無理。「技」を学ぶにしても基礎となる動きが出来なければ難しい。となると最初に鍛えるべきは「体」なのである。

「体」を鍛える中で「技」を学び、そして「心」を学ぶという事になる。形だけの「技」であれば効果は無いし、形だけの「心」であれば薄っぺらいものであろう。

 

(3)年を取ると失うもの

私はまだ50代だが「走る」という事が子供の頃から苦手で今になればその機会もないし出来ないと思う。しかし先日ジムでランニングマシーンのメニューで「早歩き」があり、やってみたがそれすらも大変。それでも継続してやるうちに少しづつ慣れてくるものだ。その慣れというのも足の裏の感覚とか、腕の振りとかも加味されて体全体で早歩きをするという、子供の頃は習わなかった新しい感覚のように思う。

おそらく失ったものはその時になってみないと分からないと思うが、私のように「走るのが出来ない」→「早歩きも大変だがまだ改善の余地はある」というように、レベルは違えど可能性は誰にでもあるはず。

 

(4)精神を鍛えるには

それを当てはめると「健全たる精神は健全たる肉体に宿る」という事だろう。

身体が動く状態での心の持ち方と、それを失った状態での心の持ち方はやはり違う。

 

リハビリというのは今まで出来ていたものが出来なくなった状態を評価し、一つ上のレベルを目指していく行為の事を言うと思う。

 

先日とある精神科医の「PTSD」(心的外傷ストレス)についての動画を見た。治療としてはその原因になったものを徹底的に医師やカウンセラーと向き合うか、今を楽しく生きるかどちらかと話されていた。

 

その「今を生きる」事の意識の積み重ねが大事なんだろうと思う。結果は後からついてくる。