人は死して金を残す | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)愛のない国になってしまった日本

政治的主張は全く受け入れられない氏だが、この記事については同意する所が多い。

特に親と同居というのは、それがあるべき姿だし仲良くやらなければならないという事はあろうが、嫁いびりなど昔からある話をすれば必ずしも幸せな形とは言い切れない。

それは「そういった同居が親孝行と認識された時代がありましたが、愛情からくるものだったかは甚だ疑わしい。その正体は、親をひとりにしておくと周りから責められる、という社会規範や義務感だったと考えられます。だとしたら、そんなもの親孝行とは言えないでしょう。」(文中より)

 

それは突き詰めれば人間関係の話だし、愛の話だし、国家存続の話まで幅広い議論になるだろうけど、「そうあるべき」という話と現実の問題はマッチしない事も多い。

 

(2)威張っていないと生きて行けない寂しい人

特に高齢者になると、他人に迷惑をかける場面はどうしても出て来る。それはそれでしょうがない事だが、中には「子供に面倒を見させる」「子供にやらせる」といった命令する立場にあると思っている人も少なくない。

私も親もそのタイプで「俺が死んだら遺産をもらえるんだから」と馬の鼻先にニンジンをぶら下げるような言い方しかできない人だた。言い換えればその虎の子が無ければだれも面倒をみてくれないという事を分かっていたのだろうと思う。

子どもの事情など後回しで良い。

今思えば、そうした姿は決して威厳に満ちたものではないし尊敬に値しない。

誰かに、というより子供に寄りかからないと威張れない寂しい人であったと言わざるを得ない。

 

(3)介護の在り方

その上で介護の話になるが、「親と子の関係の変化」に言及している事。そして「介護保険があっても、家族の責任が完全になくなるわけではありません。家族には、意思決定という大きな責任が残ります。ですから、親は子が背負える程度の迷惑をかけたらいいし、子は親を見送った時に「哀しい」思いと共に「肩の荷が下りた」という安心感の両方を味わえばよい。それでよいのではないでしょうか。」(文中より)というのはその通り。

 

結局、今の日本は愛が無くなったのではないかと思う。親が子を育てるのは「無償の愛」だろうが、子が親の面倒をみるというのはもはや綺麗事に過ぎないのかもしれない。

 

昨今、誤嚥などの事故で家族が施設訴え、賠償金を払う事が増えている。

確かに入所や病院入院前は何ともなかったのに、急死なんて何で?と思う時もある。中には本当に過失もあるだろう。

だから本当に親の敵と思うなら良いが、金のために裁判を起こしたのか?とも思ってしまう時もある。

 

おそらくそういう考え方は不謹慎なのだろう。しかし介護の現場にいるとそう思う人もいるのだ。

 

そう思うと「人は死して名を残す」ではなく、大事なのは「人は死して金を残す」という事なのだろうか。