(1)日本以上の少子化、韓国
日本の出生率は1.28。これでも少子化だといって騒いでいるのに、お隣の韓国では0.72。首都ソウルにおいては0.55と、数世代後には国が無くなるんじゃないかというような少子化現象と言われている。
韓国では日本以上に学歴重視というか受験戦争が激しい。
受験に遅れそうになると白バイが送ってくれるというサービス(?)が報道で見られるのは毎年の事。そして受験戦争に勝ち、良い学校を出て良い会社に勤め、というエリートコースの競争は狂気に満ちているとは言わないけれど凄まじい。
でも勿論だが、競争に勝てなかった人たちは圧倒的に多い。そういう人たちは「負けた」という意識を植え付けられたうえでこれからの人生を生きていかなくてはならない。
(2)卑屈になるなと言う方が無理である。
これで記事にある「被害者が加害者になる権利がある」という苦しみを経験した人がこんなことはあってはならないと思うと同時に他人にもこうした経験をさせるべきだと考える。
そうすると報われない事が多い世の中では、自分の子供にこんな世の中を生きるという事は罪深いと、自分が完璧な人間になってからでないと子供を作らないと考えるという。
私がまさにそれである。
そしてそれを親のせいにしていた。というより自分はこうしたいという事はことごとく潰され、散々罵倒され、生きる望みすら失った成れの果てである。
更に周りの友達が言っていなかった塾に行ったりして、自分は周りとは違う特別なエリートなんだ、そうならなくてはいけないんだという思いにもつながった。
(3)人の人生を潰すのは簡単
よく親は関係なく、全ては自分の責任というがそれは違う。
子供の頃からそうした環境にいれば、人の人生なんて潰すのは簡単だ。
今、穏やかに暮らしているがそれは今までの苦労が報われたと思っている。張り詰めたゴムが一気に緊張感を失ったような、そんな気分である。
私はタダの人である。
そう気付いたのは好きな歌で「タダの男さこの俺も 気付いた18の夏」という歌詞に触れた時だった。
今思えばタダの人で良い。
エリートという重荷を背負うには力が無いだけだ。
それでいいじゃないかと思う。