「政策的な失策」と外野から言う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)ヘルパーが少なくなれば、回数を減らせばよいだけ

訪問介護の報酬引き下げという激震で開けた今年度だが、約1か月たった今も大きな動きが無いまま過ごしている。私の知っている範囲でも文句は出ているだろうが、事業を廃止するというまでは至っていない。

 

さてそれは今までの話で、これからどうなるかは予想するのは難しい。

訪問介護の経営が難しくなり、撤退する事業所が増え、場合によっては介護難民が出て来るというのは一般的な予想だと思う。しかし要支援者の訪問介護の回数は制限された時と同じように、事業所が減れば、例えば要介護1や2といった介護度の人には回数制限をされるという事も十分あり得る。簡単なことだ。それは実際に生活援助の回数制限という点からもすでに始まっている。

 

(2)なぜアピールの声が聞こえてこない?

要は訪問介護側が、自分たちが入ったことによってどれだけの効果があったかを証明しなくてはならない。

生活援助だって本来であれば1日複数回入っても良い話だ。それに掃除などは日常生活上必要なものに限られるわけで、例えば窓拭きはそれ以外(大掃除の部類に入るらしい)としてやってもらえないことだってある。後、よくある話で電球や蛍光灯の交換とか出来ないし。

つまり国が決めたことは利用者も不満だし、ヘルパーはその不満をぶつけられるという理不尽な状況なのだ。

在宅生活の環境を整えるという目標がありながらも、利用者のニーズに応え切れていない現在の生活援助の在り方だって本来は議論すべき話だと思うが。

 

(3)外野からなら何とでもいえる

まあ、私はケアマネという立場だから、訪問介護の本当の困難さはあくまでも予想の範囲だ。実際には受けられる事、受けられない事を線引きして、出来る範囲で業務を受けるというスタイルに変わっていかざるを得ないという事だろうと思う。

それで訪問介護はやってくれないけど必要な事はどうするかと言えば、インフォーマルサービスを使えとか、ケアマネがやるとかして何とか体裁を整えるしかない。

 

そもそも「介護って何?」という所から見直さないといけない時期に来ているのかもしれない。

それで一番楽しいのはこうして外野からあれこれと批判したりすることである。