(1)老害という流行り言葉
以前、とある番組で若手の論客とかつての政治家が出演されていた。その政治家も議員の頃はうるさ型で、舌鋒鋭い人であったが、若手の論客は「○○さんのような老害が・・・」と事あるごとに罵倒していた。おそらくその方も元気なころなら喧嘩のしようもあるのだろうが、面倒くさくなったのか「それでいいんじゃないですか」と呆れたように吐き捨てていたのが印象だった。
最近は言葉が自由に使えるようになったことや失礼を平気で言える風潮というか、人の気に障るようなことも平気で言う奴が多くなった。ある程度の世代なら「この馬鹿垂れ!」とゴツンとやられてしまうだろうけど、今はそれがパワハラだなんだと来る。勿論、そういう失礼な奴が理解できるようにキチンと説明をしなくてはならないのだろうが、そもそも失礼なことをさも言ってやったといわんばかりに言う奴を見るとウンザリする。
(2)オヤジの背中
昔、小説だったか何かで読んだのだが、父親の背中というのは常に大きかったという話。子供にすれば父親というのは怖い存在だし、家族を守る強い存在でもあるし。そうした威厳溢れる父親の背中は大きかったし、その背中を見て育つものだ。ところがあるとき、その父親の背中が小さくなったように思う時があった。それは父親が年老いたという事、自分が大人になったという事と相まって何とも言えない気分になったというものだ。
(3)壁は大きいほうが良い
私も仕事やスポーツで、上司や先輩の背中というのを見る機会は多かった。それは見本になる人もいればそうでない人もいた。さらに言えばその人を越えたいという憧れや目標にもなったものだ。
今、「老害」という若い奴はその大人を乗り越えられないからそうした言葉で戦おうとしている、極めて卑怯な手段だと思う。というより面白がって行っているだけで、乗り越えようとか前向きに考えているわけではない。こいつらがいなくなれば自分の転嫁だくらいにしか思っていないのだろう。
やはり先輩としての壁は大きくなくてはならない。老害はもっと堂々としていて良い。壁は高いほど、それを乗り越えた時の喜びや成長は大きい。