(1)好きなものなら当たり前
やる気があるというのは好きな事をする当たっては当たり前。
好きでもない事はやる気が無いのも当たり前。
両親が教育熱心だったこともあり、塾通いさせられたが、難しかったり面白くもない。そんな時に「やる気が無い」とよく言われた。
やる気が無いだけではない。苦痛でしかない。
今でもそうだが、一人で気ままに好き勝手に生きていたい私にとってはすべて苦痛。
(2)あからさまに取り組み方は違う
でも好きな卓球だけは努力していると思う。
練習場所や練習内容、取り組み方などは50歳を超えた今でも真面目だと思う。というより今が一番真面目かな。
つまり好きな事なら努力も努力と思わない。好きな事だから真剣になるし、年を取って知恵がついたのか、どうすれば良い練習が出来るのか、練習環境を含めて良くなっていった。
では仕事はというと、嫌いではないと思うが最低限の事だけだろうと思う。
新しい資格を取りに行ったり、プライベートな時間を割いてまで研修に行ったりという事はしていない。
だからと言って仕事に支障が出るわけでもない。
(3)正しい努力を
大学受験の時は真剣に勉強した。努力したと心から思う。努力、やる気というのは、本当に目標が定まった時にしか発揮されないものかもしれない。それに努力したからと言って目標に到達するとは限らない。
特に勉強はどうしたら良いかというのは誰もが思う事だろう。
ケアマネの試験の時、東大出身の人に聞いた勉強方法は今まで自分が思っていたものとは違っていた。今までの努力の仕方が違う。しかし合格という結果が出た。
つまりやる気は無くても正しい努力をする必要はあるという事。何事も身につけようという意欲、それこそが努力だし、やる気なのだろうと思う。
正しい努力をしなければ、それは無駄になるとは言わないけど結果には結びつかない。頑張っても結果が出なければ、それ以上の努力はできない。