(1)気持ちが弱るのは分かるが
身体が不自由になった、やりたい事が出来ない、言いたい事が言えない。こんな不自由なことは無い。気持ちも落ちる。やり場のない怒りに苛まれる。それはそれで理解する。
だから誰かに支えて欲しい。それも理解する。
しかし中には自分は弱者なのだから優遇されるべき、許されるべき、というのは間違っていると思う。
(2)最初の事件
私が訪問介護で起業した時、最初の利用者が障碍者で、自費のサービス利用だった。そこで我が社のヘルパーに陰部を握らせるなどの行為があった。
そのヘルパーも経験が無く、言われるがままにしてしまったのだが、翌日警察に届け出た。
時間はかかったが、向こうも弁護士を立てて数百万円の示談金を払って和解した。
後で分かった事だが、この利用者はあちこちの事業所を渡り歩いていた。ある意味ブラックリストという奴だった。
(3)介護の世界、というのは弱者救済の世界
身体が弱くなって、人の手を借りないと生活できない。逆に言えば人の手を借りれば生活が出来る。これをノーマライゼーションというが、これはお互いの信頼関係の上に成り立つ話である。
私の母親が「もうすぐ死ぬんだから最後ぐらいわがまま言わせてよ」と言っていたが、それは親子だから成り立つものであり、他人の関係では成り立つものではない。
お互い自立した人間同士の大人の関係であり、ある程度の甘えはあるだろうがハラスメントは厳しく処罰されるものである。
(4)弱者は「配慮」されるべきであり、「優遇」されるのではない
電車に優先席というのがある。それは高齢者や妊婦など、優先すべき人が座るシートである。つまり誰もいなければ健常者も座っていいが、そういう人が来たら譲るという事と理解している。
つまりこれは配慮という事で、健常者が座ってはいけない聖域ではないという事。
おそらくそうしたバランスの上に成り立っている。
記事のような弱者を装って犯罪をするという事が横行すると、このような配慮の感覚もずれてくるかもしれない。余計な分断を産まないためにも、こうした「エセ弱者」は厳しく罰せられるべきだと思う。