(1)分かり合えない他人が一緒になる
他人というのは結局何のためにいるのだろうかと思う時がある。自分を中心軸に考えた場合、どうしても「自分のために」何かしてくれる存在という立ち位置で考えてしまう。それが逆に考えると「相手に利用されている」と嫌になってしまう。
結婚するというのは一つは好きになった者同士がするという事もあるし、お見合いとかで周りからくっつけられる事もある。それでも人間関係が出来るのだから相手がどうでもいいということは無い。出来れば仲良くしたいしお互い好きでいたい。それでも最終的な損得の話になった場合、「自分が損をさせられている」と感じれば相手に対して警戒心を強め、距離を置き、出来るだけ自分が被害に合わないようにする事を考えるだろう。
(2)私の担当しているケースで
とにかく仲が悪い夫婦。担当しているのは旦那の方で要介護1。旦那はすぐに癇癪を起して物は投げるし、奥さんはグチグチとくどい。それでも奥さんは私のみならず訪問看護にも、こちらが遮らなければいつまでもしゃべっている。
しかし旦那の方が自分が云々は言うが、奥様の悪口を一切言わない。それを聞いたら「身内の悪口を言うのは点に唾するようなものだ」と言う。
奥さんの方には「数日子供の所に留まってきたらどうか」という提案をするが、旦那が心配だからと行かない。
子どもたちからも早く離婚してしまえと言われる始末だという。
そう考えると、長く続いている夫婦というのは他人には理解できない「何か」があるのだと思う。
(3)良好な人間関係構築方法は変わらない
以前は結婚というのは家と家とのつながりで、離婚すれば「出戻り」という表現をされた。我慢を強いられる場面もあったことだろう。しかし記事のようなコミュニケーションを図るという事は昔も今も変わらない。
勿論、この夫婦のように歴史を重ねた上での一つのスタイル、結びつきはある。
しかし、出来れば良好な人間関係でいたい。夫婦であれば尚の事。そこで話し合ってもダメならしょうがない。
それでも例えば老夫婦でどちらかを看取る時、どう思うかな。出来れば添い遂げた相手を思っていたい。
