(1)見た目では分からない人となり
最近は男も女も小奇麗になって、見た目では良い悪いが分からない。しかし行動やその他を見てみると、明らかに「うわ~」と幻滅してしまう事も多い。
例えば食事の仕方。肘をついて食べる、音を立てて食べるなど。会社に来る営業もやっつけ仕事のような言葉遣い、周りで聞いていてヒヤヒヤしないかとこちらが思う位だ。
そういう時代だからこそ、キチンとしている人は信用が出来ると思う。
(2)育ちが良いというのはバカにされていた
「育ちが良い」というと「お坊ちゃん」とか「お嬢ちゃん」というような、場合によっては「世間知らず」「苦労知らず」みたいな悪い捉え方もされる事もあった。
子供の頃は「キチンとしなさい!」とよく怒られていたから、反抗してだらしなくするのも青春だったと思う。
着ているものを脱ぎ捨てる、後でやるからと何もしない。それは誰かがやってくれるからという甘えもあったと思うし、例えば洗濯物をハンガーで干して、乾いたらそのまま着るというのは要領の良いやり方でさえあると思ったりもする。
(3)本当の育ちが良いとは
しかし独り暮らしをして自分で何でもしなくてはいけなくなれば、掃除も洗濯も要領よくやらなくてはならない。それすらする時間が無いという人もいるだろうが、放っておいてたらどうしようもなくなる。
となれば、脱いだ服はすぐにハンガーにかけるとか、「すぐに」というのがキーワードになる。
掃除も思い立ったらすぐにやる。やらなくてはいけない事があったらすぐにやるという事である。こうした「すぐに」という事が綺麗な環境になるし、だらだらしないテキパキと行動するという習慣がある人が「育ちが良い」となるのではないかと思う。
おそらく「育ちが良い」人というのは良い環境を作り、維持できる人だと思う。
それはマナーの面でも同じで、決して見た目ではない、気持ちよさ、心地よさの体現だと思っている。
