(1)老人ホームは「姥捨て山」か?
親を老人ホームに入れる話というと、親の面倒をみることのできなかった自分の不甲斐なさを親不孝とし、老人ホームが姥捨て山のように表現される所に違和感を感じる。私の偏見だが。
老人ホームはそんなに行かせたくない所なのか、入れることに自責の念が駆り立てられる所なのか、とこういう記事を見るといつも思う。
(2)老人ホームは必要な場所
本当は家で介護を受けたい、死ぬまで住み慣れた家にいたいという事は本音だろう。
しかし在宅で介護を受ける場合、ヘルパーは2時間おきでしか入れないため、どうしても一人になる空白の時間は発生する。
高齢者は身体状況にもよるが、我々が無意識に行っている事、例えばトイレに行きたい、飲み物を飲みたい、背中が痒いなども人にお願いしなければならない状況にある。出来れば声の届く範囲でずっと誰かにいて欲しい。贅沢を言えば自分の子供に面倒をみて欲しいという事はあるだろう。しかし現実的にそれが出来ない状況にある。
家族にしても自分の親の面倒をみるのは出来ることならしたい。
しかし、例えば親が認知症になった場合、下の世話をしなければならくなった時、言葉を選ばず言えば嫌な思いをしなければならない時にそれをできるだろうかという事。そしてそれはいつまで続くか分からない。
だから私は「家族の介護力」というのは重視している。それが無い、もしくは不足している場合は施設の入所を勧めている。
(3)老人ホームはパラダイスではないけれど
老人ホームは私も勤めていた経験があるから分かるのだが、入所している高齢者はそんなに家族に見捨てられたとか思っていない。事情はよく分かっているし、自分ではどうしようもできない事もよく分かっている。
今は老人ホームもユニット型で個室という所が増えている。サービス付き高齢者住宅というのもある。それぞれの事情によって施設も選択できる時代である。
こうした記事は高齢者施設で良い所を探していない。老人ホームという仮想敵を作る事で読者の木を引いているように思うのは私だけだろうか。