努力も才能 | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)強要させられた努力

私は子供の頃から塾に通わされた。しかし私は勉強することが苦痛でしかなかった。そもそも何でこんなことをしなくてはならないのか分からなかった。

知識を得るという事は喜びである、というのは今になってみれば分かる。分からない事が分かるようになるという事、出来なかった事が出来るようになるという事は喜びであるという事すら理解できなかった。

勉強が出来た結果、どんな素晴らしい未来があるかも分からない。更に父親から「公立に行ったら大変だぞ」と言われ続けて、どんな地獄が待っているか不安でならなかった。とにかくこんな場面から一刻も早く逃げ出したかった。

授業の時間が早く終わる事だけ考えていた。

勿論、そんな事で結果が出るわけがない。受験に何度も失敗した。

 

(2)努力をするにも方法がある

それでもケアマネ試験は勉強しなくてはならない。

たまたまだったが、東大出身の人に難しい本の読み方を聞く機会があった。その人曰く、難しい本を一度で理解しようというのは不可能だ。そして分からない所を書き出してなんて言うのは最も愚かなことだ。だから最初は分からなくて良いから気合で読む。そして二度三度と読むうちに何となくわかってくるものだ、というのである。

これは今まで私が聞いてきたことと全く違う事だった。というより一回で何とか済まそうと、要領の良いやり方と思い込んでいた事だったのだろう。

それからテキストも何度も何度も読み返した。問題集も同じものを何度も繰り返した。その結果、試験に合格できた。

 

(3)なぜ山にのぼるのか。そこに山があるからだ。

イギリスの伝説的登山家、ジョージ・マロリーの言葉である。この真意は記者からの「なぜあなたはエベレストに登りたいのですか?」という質問に答えた言葉である。当時、まだ誰も登ったことがない「第3の極地」エベレストに登りたくなるのは、登山家として当然のことだ、と言っている。

 

努力というのはおそらくこのような単純な事なのだろう。

 

人は目標が見えた時、その目標を達成しようとする。その過程を努力という。だから目標が無い時、達成しようと思わなければ努力なんてしない。

その人の事情などを考えろとか、そういうのはどうでもいい。言い訳している家は本気じゃないから。